「愛とやすらぎのために」をテーマに100周年記念事業で設立、日仏の近代絵画コレクションが特徴 広島:ひろしま美術館

広島県

こんにちは。今日から広島県です。
広島県の観光地といえば厳島神社と原爆ドームでしょうか。野球好きな方は広島東洋カープ、私なんかはマツダのイメージがありますが、そんな観光名所に恵まれた広島県において、県を代表し「ひろぎん」の名で親しまれている地元の銀行、広島銀行、その創立100周年を記念して建てられた美術館が今日ご紹介するところです。こちら展示室は丸いドーム型で原爆ドームをイメージしており、その本館を取り巻く回廊は、厳島神社の回廊をイメージして造られたそうです。そんな広島のアイデンティティが凝縮された美術館、早速ご紹介です。

このブログで紹介する美術館

ひろしま美術館

・開館:1978年 ※ということは広島銀行…1878年からあるんですね(驚)戦前は「廣島銀行」と書いたそうです。

・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会より転載)

・場所
ひろしま美術館 – Google マップ

「愛とやすらぎのために」をテーマに100周年記念事業で設立、日仏の近代絵画コレクションが特徴

・創業100周年を迎えた広島銀行が、地域とともに歩んだ歴史の記念事業として設立。1945(昭和20)年8月6日、原爆の劫火によって幾多の尊い命が失われ、街が廃墟と化して30数年、広島は平和文化都市の建設を目指し、復興の道を歩んできました。その道程の中で久しく求められていたのは、心の喜びとやすらぎの場であったことから、本美術館は、「愛とやすらぎのために」をテーマに、構想10数年を経て誕生しました。単に美術展示だけではなく、今日の広島の礎となられた原爆犠牲者の方々への鎮魂の祈りと平和への願いがこめられています。

〇公式Youtubeサイトはこちら:
https://www.youtube.com/channel/UCrDS-yz7QYyyDWlG_8PcKtw

主なコレクション

ロマン派から印象派まで

エドガー・ドガ

・他の印象派の画家たちとは異なり、戸外の光のもとで制作するよりも、屋内で人物を描くことを好んだそうです。大胆な構図で都市の暮らしをありのままに描き、油彩のほか、版画、パステル、写真、彫刻にも熱中。

エドゥアール・マネ

・近代化するパリを舞台に、スペイン絵画や日本の浮世絵に影響受けた革新的な作品を制作。「印象派の父」と呼ばれました。

クロード・モネ

・ドガたちと印象派展を立ち上げ、ルノワールと筆触分割など印象派に特徴的な技法を開発するなど、生涯、移ろう光や大気を描きとめることに挑戦し続けた画家。新たな手法として「連作」をはじめたことでも知られます。

オーギュスト・ルノワール

・モネとともに筆触分割の実験を始めたことで知られ、光に満ちた戸外で都市の風俗を生き生きと描きます。後半生はリューマチに苦しみながらも、生涯旺盛な制作を続けました。

ポスト印象派と新印象主義

ポール・シニャック

・点描法で知られる新印象主義をスーラとともに生み出したフランスの画家。早世したスーラに代わって、「色彩のもつ表現性」を推し進め、20世紀絵画の展開に大きな役割を果たしました。

ポール・セザンヌ

・印象主義を独自の方向に乗り越え、「見る」ことをとらえなおすことで新しい造形世界を生み出しました。新しい絵画は、キュビスムをはじめとする20世紀絵画に大きな影響を与え、ひとつの大きな流れをつくりました。

フィンセント・ファン・ゴッホ

・印象派の鮮やかな色彩を継承しつつ、画面に感情を込める絵画を描き、20世紀絵画の展開に大きな影響を残しました。

オディロン・ルドン

・19世紀後半のフランス象徴主義を代表する画家。モノクロームの不思議な世界からはじめ、後半生はパステルを使った色鮮やかな世界を描きました。

→私もどこの美術館だったかは忘れましたが、ルドンの代表作「キュクロプス」を見てその迫力、説得力に圧倒された記憶があります。

フォーヴィスムとピカソ

ラウル・デュフィ

・フォーヴィスムに転じた後、キュビスムやデザインの流行を吸収して色彩豊かな独自の画風を確立。オーケストラ、ヨット・レース、競馬、明るい室内などをテーマに、鮮やかな色彩のハーモニーとリズミカルな輪郭線の奏でる世界を描き続けました。

モーリス・ド・ヴラマンク

・1901年に見たゴッホ展に衝撃を受け、マティスらとともに激しい色彩による画風を展開。フォーヴィスムに参画した後、ゴッホを目標に荒々しい画風に、独特の雰囲気を加えて、情趣豊かな風景画を描き続けました。

アンリ・マティス

・激しい色使いとタッチでフォーヴィスムの中心人物に。その後、しだいに鮮やかな色彩を保ちながらも平坦な色面を組み合せ、絵画の二次元性を強調する作品を描くようになりました。

パブロ・ピカソ

・キュビスムの創始者の1人。しかし、その様式・主題は、「変貌の画家」ともいわれるほど幅広く、苦悩と欲望、怒りと喜び、愛と性、戦争と平和など、人間的なことを訴え続けました。

エコール・ド・パリ

マリー・ローランサン

・パリで生まれ育った女性画家。ピカソなどキュビスムの洗礼を受けて20世紀初頭の画壇にデビューを果たす。人気の肖像画家として社交界の人びとの肖像画を多く描きました。

アメデオ・モディリアーニ

・イタリア出身の画家、彫刻家。生前は十分な評価を得られぬまま、すさんだ生活を送り、短い生涯を閉じる。アーモンド型の目と卵形の顔、長い首を特徴とする肖像画を多く描きました。

マルク・シャガール

・旧ロシア出身のユダヤ人画家。モンパルナスのアトリエ長屋「ラ・リュッシュ(蜂の巣)」に入居し、レジェ、モディリアーニ、スーティン、またアポリネールやアンドレ・サルモンらの詩人と交友。自由な創造力で豊麗な色彩のなかに夢のような世界を描く画風を確立しました。

レオナール・フジタ

・フランスで活躍した日本人画家。東洋と西洋の伝統を融合したその画風は、フランスをはじめ、ヨーロッパ各地で高く評価。第二次大戦後再び渡仏し、フランスに帰化、さらにカトリックの洗礼を受けました。

日本近代洋画

浅井忠

・油絵受難の明治時代、明治美術会を創設して油絵の普及に尽力した。写実を重視しつつ情感溢れる農村風景を描きました。渡欧後、晩年は京都の洋画壇の発展に尽力する一方で、自ら図案や工芸の制作にも精力的に取り組みました。

黒田清輝

・日本に西洋絵画を根付かせた最大の功労者。日本風のアカデミズムを確立させ、明るい外光描写を取り入れた清新な画風を移植、その後の日本洋画の方向性に決定的な影響を与えました。

藤島武二

・黒田清輝とともに日本画壇にアカデミズムを根付かせた重鎮、指導者。アール・ヌーヴォーをはじめとする西洋世紀末の影響の強いロマン主義・象徴主義的な画風から出発し、円熟期には単純化された装飾的な風景画を描き、日本独自の洋画を模索しました。

岸田劉生

・西洋からの新しい美術動向を敏感に受け入れた二科会の動きに対して、つねに独自の写実を求めて「フュウザン会」「草土社」「春陽会」を次々に立ち上げ大正期を二分する大きな動きを作り出した洋画家。自己の内面を徹底的に客体化するなかに写実の本質を見出しました。

日本画

竹内栖鳳

・戦前の京都画壇を代表する日本画家。円山四条派から出発し、積極的に西洋の写実表現を日本画に組み入れることで、新しい時代の日本画を模索。「東の大観、西の栖鳳」と並び称され、横山大観とともに当時の画壇の代表的存在であり、上村松園、土田麦僊など、多くの後進を育成しました。

横山大観

・近代日本画の発展に尽力した東京画壇の巨匠。岡倉天心主導で進められた日本美術院の創立に参加。また菱田春草とともに朦朧体と呼ばれる画法を試み、明治、大正、昭和の3時代にわたって、革新的な日本画の改革運動を推進しました。

上村松園

・女性としてはじめて文化勲章を受章した日本画家。簡潔な線と明快な色彩によって、清澄な雰囲気の中に凛とした存在感を漂わせる女性像を描いた美人画を描く。子は上村松篁、孫は上村淳之と、3代続く日本画家一家。

橋本関雪

・渡中国30数回、渡欧数回で、東洋と西洋を融合した新南画と呼ばれるジャンルを拓いた日本画家。京都画壇で活躍。歯に衣着せぬ物言いで直情径行な人物であったためか、孤高の画家としても知られています。

 

…いかがでしょうか。ロマン派・印象派からフォーヴィスム・エコール・ド・パリ、さらには日本近代洋画、日本画と錚々たるメンバーです。私がこれまで書いてきた美術館の中ではここまで粒ぞろいの美術館はなかったのではいかと思います。これも1978年の開館以来、学芸員の方はじめ、関係者の方々が厳選に厳選を重ね、コレクションを進めてきた(そして、広島銀行に広島の人がしっかり預金してきた)賜物だと感じます。

ということで、広島県良い美術館が複数あります。次回も全国指折りの館をご紹介したいと思います。それでは。

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