現代陶芸を中心に優れた造形作品を展示、戦争の中で見つけた「生」との出会い 東京:菊池寛実記念 智美術館

東京都

こんにちは。今日ご紹介する美術館、東京は虎ノ門にある美術館です。
こんなところに美術館が?と思われる方も多いかもしれませんが、閑静な高台に炭鉱経営者であった父:菊池寛実の三女で自身も京葉ガス会長などを務めた菊池智氏(1923年 – 2016年)の現代陶芸コレクションを一般公開することを目的に建てられた美術館があります。

 父と自身の名をとって「菊池寛実記念 智美術館(きくちかんじつきねん ともびじゅつかん)」と言います。 2人の名前が入っているので多少読みづらいですが、何も知らない人は「菊池寛…」と見た時点で、民藝運動を思いだしてしまいそうになります。(実際に私もそうでした…)

 そんな寛は寛でも現代陶芸(皆さんご存知ですか?)を中心とした美術館、早速ご紹介していきましょう。

このブログで紹介する美術館

菊池寛実記念 智美術館

・開館:2003年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、都、観光協会HPより転載)

・場所:菊池寛実記念 智美術館 – Google マップ

現代陶芸を中心に優れた造形作品を展示、戦争の中で見つけた「生」との出会い

・現代陶芸のコレクターであった菊池智氏(とも、1923〜2016)が自身のコレクションを母体に、現代陶芸の紹介を目的として、2003年に港区虎ノ門の閑静な高台に開館。智氏の父である実業家の菊池寛実氏(かんじつ、1885〜1967)が晩年の活動の拠点とした場所で、美術館の設立も父の余光によるとの想いから、菊池寛実記念と称したそうです。本館は現代陶芸を中心に、優れた造形作品を紹介する展覧会を開催しており、さらには陶芸の枠にとどまらず、現代工芸の発信地となるべく活動を続けています。なお、美術館HPには本美術館設立の経緯となったいくつかのストーリーが載っていましたのでこちらにも転載しておきます。

菊池智氏と陶芸との出会い

・美術館設立者の菊池智氏が実際に陶芸と出会ったのは第二次世界大戦中のこと。
 炭鉱を経営していた父、寛実氏が、徴用で働きに来ていた瀬戸出身の陶工のために登窯をつくり、東京から疎開してきた智氏がそこを訪れたのです。

 土からつくり出される新たな「生」との出会いは、二十歳をすぎたばかりの多感な彼女の目に宿命的なものと映りました。 「たまたま訪れた私は驚嘆いたしました。土の塊が、まるで魔術のようにろくろの上に形が整えられ、火の洗礼を受けて窯の中から美しい陶器に生まれ変わって私の前に姿を現したのでした。毎日のように死と対峙せざるをえない生活の中で『ここに生があった』という感動が、私の心の中を駆け抜けました。『土はすべての始まるところであり、また、いつか帰っていくところである。』多くの愛する人達を失った悲しくも鮮烈な想いから、土からつくり出される陶芸は私の人生において避けて通れないものになったのでございます。」

 終戦後しばらく経った1950年代半ばあたりから、智氏は陶芸作品を購入しはじめます。最初は茶の湯への関心から数寄者や専門家と交流し、古美術や古陶磁への趣味を深め、次第に「見る」感動だけでなく、「手元に引き寄せる」ために、作品を購入するようになりました。やがて興味の対象は智氏自信と同時代の作家たちが生み出す陶芸作品へと広がっていき、次第に現代陶芸を中心に蒐集するようになっていきました。 「いつ、どんな美が私の前に示されるか分からない、そういう未知の感動を追いかける楽しみが、私を惹きつけたのではないでしょうか。思いがけない美をつかめるのが、現代陶芸の魅力ではないかと思っております。」

→実は私も2年ほど陶芸教室に通っていたことがあります。(なんのカミングアウトかわかりませんが…)
智氏と同じように釉薬を重ねた土色の器が炎によってここまで美しい色に変貌するのかと毎回感動しました。

 何となくキャンプファイヤー(焚き木)しかり、BBQしかり、火は人間を元気にしてくれる不思議な力があるように感じます。以前、野見山暁治さんのブログ(参考:100年を生きる画家、野見山暁治 人はどこまでいけるか④)の中で、野見山さんが戦地(雪国)に派兵され、何の色もない世界に放り出されそこに落ちていたカーキ色のみかんの皮を目にして涙を流したという話をご紹介しましたが、まさに戦争という極限状態の中、智氏がこの土と炎の芸術を目にしどれほど感動したであろうことは想像に難くありません。

「現代陶芸寛土里」のオープンと米国での「現代日本陶芸展」

・また、一方で、本ブログは世界の美術館のご紹介はこれまでしていませんが、スミソニアン自然史博物館でのこんなストーリーも載っていました。
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・1974年、智氏はホテル・ニューオータニのロビー階にギャラリー「現代陶芸寛土里(かんどり)」をオープンさせます。東京芸術大学の教授であった藤本能道の個展で幕を開け、まもなくギャラリーは若手の登竜門の様相を呈し活気づいていきました。

 一方、「マチコ、マチコ」と益子焼を求めて立ち寄る外国人も少なくなく、智は、日本の陶芸が海外で偏って理解されていることを知り、現代の日本陶芸を海外に紹介すべしと発奮します。おりしも日米間は貿易摩擦でぎくしゃくしている頃。智は、それが日本の文化の理解にもつながればと思いました。

 1979年、ニューヨークの老舗百貨店ブルーミング・デールズに寛土里が出店するという機会が訪れ、その成功がさらに大きなチャンスを招きよせました。日本の現代陶芸をワシントンにあるスミソニアン自然史博物館で紹介してみないかという展覧会の誘いが智のもとにきたのでした。

 1983年、2月10日からの二ヶ月間を会期とし、スミソニアン自然史博物館のトーマス・M・エバンス・ギャラリーで、「Japanese Ceramics Today- Masterworks from the Kikuchi Collection(現代日本陶芸展)」がはじまりました。日本の現代陶芸を海外で紹介した初めての本格的な展覧会で、出品作家100人、作品数およそ300点による大規模な展観となりました。出品作家のうち半数以上が30、40歳代でした。若手を多数登用した斬新な構成で、日本陶芸界のオン・タイムな動向を欧米に伝えようという趣旨がはっきりと示されていました。すべて菊池コレクションからの選出でした。

 展覧会は、現代陶芸を美術作品としてだけではなく、日本人の暮らしに根ざす実用の器としても紹介するものでした。たとえば茶の湯の世界を紹介するために四畳半台目の茶室がこしらえられ、茶道具が臨場感をもって展示されました。また、別の空間では、畳の上に懐石膳がしつらえられ、あるいは、四季を意識した季節感のある食器を組み合わせた一隅もありました。

 未曾有の大成功をおさめた展覧会は、英国ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に巡回しました。近年の欧米における日本の現代陶芸ブームの種はこのとき蒔かれたのかもしれません。展覧会の成功はひとえに智の熱意によるものでした。私財を投じて全力投球する彼女の思いが、作家を動かし、組織を動かし、展覧会として結実したのです。

「今でも、私の半生を注ぎ込んだのがスミソニアンでの展覧会だったと思っております。あの時は、たとえ命をもっていかれても構わないからと、憑かれたように駆り立てられて米国での展覧会を成し遂げようと思ったのでございます」

 スミソニアンでの展覧会では、智美術館の設立につながる重要な出会いもありました。スミソニアン自然史博物館に専属していた展示デザイナー、リチャード・モリナロリ氏との出会いです。モリナロリ氏の演出は、鑑賞者を展示の世界に引き込むためにトータルなものとしてデザインされ、同時に、個々の作品の魅力を引き出すという繊細さをあわせもっていました。現代陶芸の美は、伝世品などの古美術の賞翫よりも、はるかに個人的でデリケートな感覚ですが、智氏の感覚を共有し、展示によって示す才能豊かな理解者があらわれたのでした。

 智氏とモリナロリ氏とのコンビネーションは、その後、菊池ゲストハウスで開催された3つの個展に活かされます。1985年の鈴木藏個展「旅路転生」、90年の樂吉左衞門個展「天問」、92年の藤本能道個展「陶火窯焔」です。どの展覧会もモリナロリ氏が会場デザインを手がけ、10日前後という短い会期にもかかわらず、準備には数年をかけたといいます。作家をはじめ、企画者、デザイナーの三者が創造的に火花を散らした、言わば究極の展覧会となりました。

 当館が2003年に開館した際にも、展示室のデザインはモリナロリ氏に委嘱されました。企画展の必要に応じて手を加えながら現在にいたります。展示室は、緊張感のただよう非日常的な場であり、純化された空間での美との邂逅をイメージしています。作品は、スポットライトを浴びる舞台俳優のように煌いて存在します。そしてそのような作品に見る人自身の美意識を重ね合わせながら、ゆっくりとご鑑賞いただくことができるのです。(菊池寛実記念 智美術館HPより)
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主なコレクション

・コレクションは、富本憲吉(1886~1963)、八木一夫(1918~1979)、加守田章二(1933~1983)、藤本能道(1919~1992)、鈴木藏(1934~)、栗木達介(1943~2013)など、現代陶芸を語るには欠かせない作家たちの作品を中心に構成。伝統的な器から革新性に富む造形的なオブジェまでと幅広く、日本の現代陶芸の多様性を俯瞰できる内容です。特に藤本能道の作品のコレクションは、昭和天皇が使用したディナーセットや最晩年の「陶火窯焔」シリーズなど、質、量ともに随一の収蔵品です。

富本憲吉「白磁八角共蓋飾壷」1932年

八木一夫「黒い花」1975年頃

藤本能道「色絵木蓮と鵯八角筥」1976年

藤平伸「太郎の雪」1998年

加守田章二「壷」1976年

栗木達介「銀紅彩地紋花器」1988年

菊池ビエンナーレ

・また、本美術館は展示だけでなく、現代陶芸の振興を目的に、2004年度から隔年で公募展を開催しているそうです。公募展では、器から用途のない造形作品まで、形状やサイズに条件を設けず陶芸作品を募集し、一律に審査。活躍中の陶芸作家から学生まで、日本全国、また海外からも幅広い年齢の方々が応募しているとの事。すべての入賞・入選作品は本美術館で「菊池ビエンナーレ」展として、一堂に展示されています。なお、これまでの審査結果と展覧会概要は以下よりご覧いただけます。

〇菊池寛実記念 智美術館主催 菊池ビエンナーレ過去受賞作品:https://www.musee-tomo.or.jp/biennale/

館内外の様子

・また、本美術館が入る港区虎ノ門に建つ西久保ビルも建築としてユニークで特徴的です。 →こちら、当地を拠点として活動した実業家の菊池寛実氏が所有した敷地に2003年に竣工、現在ビルを中心として大正時代に建てられた西洋館と和風の蔵、百年ほどの歴史の有る庭が一体となっています。地下一階に広がる本館の展示空間と一階の受付ホールはガラスの手すりがついた螺旋階段でつなげられ、非日常の雰囲気にまで昇華した環境で作品を鑑賞できる場にしたいという菊池智氏の想いから、建物、展示空間にはその美意識が強く反映されているそうです。

…なんだかブティックみたいですね。
そんな非日常空間の中で現代陶芸が味わえる菊池寛実記念 智美術館、皆さんもぜひ足を運んでみて下さい。きっと日常の中では見えてこない色んな感覚を体感できるのではないかと思います。

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