「九州の」絵画を求めて 久留米市美術館開館5周年記念展「九州洋画Ⅱ:大地の力 Black Spirytus」

久留米市美術館「九州洋画Ⅱ:大地の力 Black Spirytus」 アートな場所

久留米市美術館で12月12日まで開催されていた、開館5周年記念展「九州洋画Ⅱ:大地の力 Black Spirytus」。
こちらの展覧会に足を運びました。すごく見応えがある展覧会でしたので、レビューしたいと思います。

久留米市美術館「九州洋画Ⅱ:大地の力 Black Spirytus」

久留米市美術館(旧石橋美術館)は、2016年に運営が石橋財団(ブリヂストン)から久留米市に引き継がれたことで話題になりましたが、現在に至るまで石橋美術館時代から力を入れている、洋画を中心とした九州のアートシーンの紹介に取り組んでいます。最近でも、郷土の誇る洋画家の回顧展である「没後50年 坂本繁二郎展」(2019年)や「生誕130年記念 髙島野十郎展」(2021年)、さらに新しいコレクションの収集状況を報告する展覧会「久留米市美術館のコレクションing」シリーズ(2019年、2020年)など、地域に根ざした魅力ある展覧会を精力的に開催しています。

この美術館の魅力はもちろん展覧会もですが、素晴らしい庭園も!季節によって、広い敷地内に色とりどりの花が咲き乱れます。ピクニックがてら美術鑑賞、という、ヨーロッパの上流階級のような過ごし方もできちゃうのです。ああ、近所にお住まいの方がうらやましい。
(画像は今年の春に撮影したものです)

久留米市美術館の庭園

さて今回の展覧会、「九州洋画Ⅱ:大地の力 Black Spirytus」の大きなテーマの一つと言えるのが、“想いの伝承” です。
黒田清輝や久米桂一郎、百武兼行、岡田三郎助、藤島武二など、明治洋画の開拓者に九州出身者が多かったことは有名ですよね。時代の変化の波に乗って大志を抱いた彼らは、若くしてヨーロッパで洋画を修め、帰国後も画家として、そして教育者として、後進たちを育てつつ近代的な美術制度の確立に貢献したと評価されています。彼らの次の世代の画家たちはパイオニアの師から薫陶を受け、ある者は美術界の最前線で新しい表現を切り拓き、そしてある者は郷里で美術の先生となるなどして、制作を続ける傍ら後進たちを育てました。こうして、中央と地方の両方で美術の裾野が広がり、ここから日本近代美術の枝葉が豊かに広がっていったというわけです。そのような意味で、九州の画家たちは、まさに日本の近代美術界に種を蒔く役割を果たしたといえます。
最初に海外で洋画を学んだ一人である百武兼行の作品は、堅実な描写にドラマティックな陰影表現が際立つ力作。明治の日本人たちを驚かせたであろう、精妙な洋画の技術が冴えています(実は本業は絵画でなく、外交官だったというのも驚きです)。有名な青木繁の作品も、日本神話をテーマにしたロマンティックな画面にナショナリズムと土着性とが不思議なバランスで綯い交ぜになっているように思えます。さらに若い世代である古賀春江や坂本善三などの画家は、美術学校で学んだアカデミックな技術を起点としながらも、抽象画など同時代の新しい表現に刺激を受け、前の世代とは全く異なる作風を花開かせます。師の表現にとどまらず、時代の潮目で独自の表現を切り拓いていくということ。同時に技術を受け継ぎ、表現への欲求を燃やし続けていくこと。そんな力強いエネルギーを持った美術作品を、久留米市美術館学芸員の佐々木奈美子氏は、「想いを受け継ぎ、人を立ち上がらせるような絵画」と素敵な言葉で形容しています(『九州洋画Ⅱ:大地の力 Black Spirytus』展覧会図録 P.14より)。展覧会を観ていると、まさにそれを繰り返しながら日本の美術が豊かになっていったことが分かりますし、他ならぬそれこそが表現の本質だと思い知らされます。

もう一つのテーマと言えるものが、土着性と手ざわり。久留米の坂本繁二郎に伊東静雄、佐賀の山口亮一、大分の宇治山哲平、風倉匠など、地元に身を置きつつ独自の表現を切り拓いた画家たちは、ユニークな表現を発信し、アートシーンを活気づけました。一方で活躍する場所とは関わらず、山河や炭鉱、装飾古墳のように、出身地の自然や地形から大きな霊感を得て、想像力を広げた九州の作家もいました。例えば佐賀県伊万里市の炭鉱町で生まれた池田龍雄は、後に自ら炭鉱夫となり、労働者の実情に迫った迫真的な作品を残しています。鹿児島出身で熊本などで教鞭も執ったことのある海老原喜之助の力強い筆触や色遣いは、装飾古墳のようなプリミティブな表現にも相通じるように思えます。さらに現代作家である田中千智も、まさに装飾古墳を画題としている画家です。閉ざされた石室の空間を、宇宙にも、また女性の胎内に見立てるかのように、暗い空間と白い女性の身体が交錯するような夢幻的な作品を制作しています(最後の部屋に登場するこの作品が、私はすごく好きでした)。その他にも池田学、山下耕平といった現代で活躍する作家が紹介され、100年以上前に蒔かれた美術の種が今も脈々と育ち、青々と葉を茂らせていることが語られます。

「九州に限らず、また、洋画に限らず、近代の美術に『地方様式』を認めることが難しい。(中略)洋画の近代史は個人、あるいはグループ・流派の様式の連続として追わざるを得ない。」(同展覧会図録 P.10より)と学芸員自らが素直に語るように、近代以降の美術に恣意的に「地方様式」をあてはめることには慎重さが必要だと私も思います(そういうストーリーの展示は最近多い気がしますが…)。しかし、そこにあえて突っ込むだけの確かな流れが、ここ九州の地には息づいていることが本展ではしっかり示されています。黒田清輝たちの結成した美術団体「白馬会」から出発した、先輩から後輩へ受け継がれていく教えや技術、そこから巣立った画家たちが地方に開いた美術団体や展覧会「北九州自由画室」、「佐賀美術協会」、「江南画塾」(久留米)や「南日本美術展」などといった場所が地方での新しい表現の磁場になっていったように、九州という地を介在したさまざまな関係性の中から育ったアートシーンは、確かにあるといえます。展覧会自体は、作品の内容が多様性に富むあまり、せっかくのテーマの意味が薄まってしまってないかな?という気づきもありましたが、なにより今に至るまでこの地に脈々と根付いている伏流水の流れを示したことに、洋画研究の代表館たるこの美術館の矜持が感じられました。
もちろん、作家のラインナップも多士済々。どなたも九州出身、あるいはゆかりのある作家ばかりでしたが、今まで全く知らなかった作家にも出会えて、地元にこんな作家がいたのか!という新鮮な驚きをもらえました。とりわけ「Black Spirytus」の副題にふさわしく、本店の出品作には、生命の躍動を感じる表現が目を惹きます。昨年からの感染症の流行で芸術文化の活動が全国的に停滞気味の中、人を揺さぶる芸術の根源的なエネルギーやパワーを実感することのできる、力強く豊かな展観でした。

素晴らしい展覧会、ぜひご覧いただきたいです…と言いたいところではありますが、悔しいかな、既に会期は終了してしまいました。先日の博多座公演といい、会期が終わってしまってからしかレビューを書けなかったことが残念です。これからはできるだけ会期中に書けるようにしたいです!

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