県政100周年記念として開館。日本初の文化勲章を受章した画家と日本彫刻界の大家、そして高校美術の教科書表紙にもなった現代美術作家の大作 佐賀県立博物館・美術館

佐賀県

こんにちは。現在、佐賀県をご紹介しています。
県唯一の公立美術館である佐賀県立美術館は、佐賀にゆかりのある近現代の芸術家の絵画、彫刻、工芸品、書などを展示、収蔵品の点数は約4,000点にのぼります。県出身の近代洋画家:岡田三郎助をテーマとする常設展示室—OKADA-ROOMを有しているのが特徴で、他に、県出身の彫刻家:古賀忠雄氏の作品を館外に彫刻の森として展示しています。それでは早速見ていきましょう。

このブログで紹介する美術館

佐賀県立博物館・美術館

・開館:1982年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県観光協会HPより転載)

※右が美術館。隣の博物館と隣接しています。

・場所
佐賀県立美術館 – Google マップ

県政100周年記念として開館。日本初の文化勲章を受章した画家と高校美術の教科書表紙になった現代美術作家のコレクションに特色

・昭和58年(1982年)、県政100年記念事業として県立博物館に隣接して開館。主に佐賀県にゆかりのある近・現代の絵画、彫刻、工芸、書などの資料を収集、それら調査・研究と展示・紹介を行うことで、佐賀県の文化活動の拠点として機能し、広く親しまれる美術館となることをめざしています。2015年夏には、佐賀県出身で日本の近代洋画界をリードした岡田三郎助の作品を常時公開する常設展示室「OKADA-ROOM」がオープン。「矢調べ」や「裸婦」といった岡田の傑作や関連資料、さらに黒田清輝や久米桂一郎など岡田と交友のあった洋画家たちの作品も展示し、岡田の画業を多角的に紹介しています。
さらに、2018年には敷地内に築約110年の岡田三郎助のアトリエを東京から移設しオープンするなど、主に日本近代洋画史の展観の充実度合いに特色があります。

また、近年では日本文教出版「高校生の美術」の表紙にも採用され、精緻なペン画として現代美術界で評価が高まっている佐賀県出身の画家:池田学氏の大作「誕生」を購入して話題を呼びました。現在は現代美術のコレクションも拡充しています。

岡田三郎助とは

・1869年(明治2年)、佐賀県生まれの洋画家。初め曽山幸彦につき、のち黒田清輝に外光派の技法を学ぶ。1896年(明治29)白馬会の創立に参加、新設の東京美術学校西洋画科の助教授となる。翌年フランスに留学してラファエル・コランに師事、ヨーロッパ各国を見学して、1902年(明治35)帰国。東京美術学校教授となる。1907年東京勧業博覧会で「某夫人像」が一等賞となり、また第1回文展から審査員を務める。1912年、藤島武二と本郷洋画研究所を設立、のち帝国美術院会員、帝室技芸員となり、1937年(昭和12)に第1回文化勲章を受章。

→早くから工芸、図案などの発展に尽くし、外光主義の風景画と、装飾的女性像に典雅な日本情趣を示したとの評価を受けています。代表作は「矢調べ」「花野」「裸婦」「あやめの衣」「婦人半身像」ほか。1939年(昭和14年)没。
<左から「裸婦」、「あやめの衣」、「婦人半身像」>
  
※画像は佐賀県立美術館HP、情報サイト「Japaaan(https://mag.japaaan.com/archives/83689/main-429)」、文化遺産オンライン(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/100430)より

OKADA-ROOM

・岡田三郎助(1869~1939年)と関連する近代洋画家たちの作品のコレクションを紹介する常設展示室。「岡田三郎助と近代洋画の佐賀」をテーマに、年数回の展示替えを行いながら、岡田作品や遺愛品等の資料を紹介しています。

岡田三郎助アトリエ

・1908年に東京恵比寿に建築され、110年の時を超えて佐賀県立博物館東隣に移築。日本の近代建築史や近代洋画史上の貴重な歴史的建造物です。

池田学とは

・1973年佐賀県生まれの現代美術家。1998年東京藝術大学美術学部デザイン学科卒業後、2000年同大学院修士課程修了。日本、カナダ、アメリカなどを拠点に、丸ペンとカラーインクによって様々なサイズの綿密画を超絶技巧的に描き出している。アメリカ・ウィスコンシン州マディソンで約3年間にわたり滞在制作を行った縦3×横4メートルの大作「誕生」(2013-16)では、人々が自然災害とどのように共存していくべきか、そして、人々はどのようにその被害から立ち直っていくのかをテーマに、1本の大木を中心に多様なストーリーが折り重なる絵画を描いた。主な個展に「池田学展 The Pen ―凝縮の宇宙―」(佐賀県立美術館など、2017)。

→前述しましたが、この大作「誕生」は、日本文教出版「高校生の美術」の表紙に採用されています。編集担当者によると、「美術と社会とのつながり」や「作家の独創性や個性を考える」といったコンセプトに、池田さんが東日本大震災を機に描いた「誕生」がふさわしかったということで、池田さん自身も「未曽有の災害に対し、作家や美術に何ができるかと考えた池田さんの作品に込めた思いを、高校生に感じ取ってほしい」と話されています。
<池田学「誕生」が掲載された教科書>

※佐賀県立美術館「三人展」より転載(https://tokushu.saga-s.co.jp/sanninten/news/20180802090000/

古賀忠雄とは

・佐賀市出身の彫刻家。幼少より図画、手工、習字などにすぐれ、小学校高等科を卒業後、佐賀県立有田工業学校図案絵画科入学。この間、日本画家腹巻丹丘に認められ、東京美術学校彫刻科塑像部本科に入学。在学中、第10回帝展の「仏心」を出品し初入選。1939年(昭和14年)36歳の時、第3回文展(戦後日展に改称)へ「岬の男」を出品、特選を受賞。後、第5回文展出品「建つ大東亜」で帝国芸術院賞を受賞し確固たる地位を築く。戦後は、日展委員、審査委員、参事等を歴任、昭和42年日本芸術院会員となり日展常務理事、日本彫刻会理事長、陶彫会会長等の要職を務め、日本彫刻界をリードした。

古賀忠雄彫刻の森

・古賀氏の代表的な彫刻作品を県立博物館や美術館周辺の野外(佐賀城公園)に展示、1994年(平成6年)に開園しました。園内では、四季折々の自然豊かな環境で古賀氏の彫像作品が鑑賞できるほか、近くの佐賀城のお堀では夏にハスの花が満開になるなど、自然と芸術の両方を満喫できます。

維新博メモリアル展示”幕末維新記念館”(博物館)

・幕末維新期、佐賀は国内最先端の科学技術力を誇り、明治新政府で活躍した幾多の人材を輩出しました。明治維新150年を契機に開催した「肥前さが幕末維新博覧会」において、佐賀の「技」「人」「志」にスポットを当て、最新映像技術等で紹介。「維新博メモリアル展示」では、維新博のテーマ館の再構成により、維新博で芽生えた佐賀への誇りや新たな志を今に活かし、未来へと繋げる体験を提供しているそうです。
こちらは、隣接する県立博物館で公開しています。

茶室 清恵庵(せいけいあん)

・佐賀県出身の実業家で、リコー三愛グループの創始者、故市村清氏(1900~1968)の遺志により、幸恵夫人より寄贈、1973年に、佐賀城の広い南濠に面した現在地に建てられた茶室。

高輪築堤(博物館)

・令和4年(2022年)。東京・高輪ゲートウェイ駅周辺工事の際に発見された「高輪築堤」の一部を大隈のふるさと佐賀の地に再現展示。

※ 高輪築堤とは…明治5(1872)年9月12日、日本初の鉄道が新橋~横浜間で開業。総延長29kmのうち、海上に鉄道を通すために建設された約2.7kmの築堤が高輪築堤との事。佐賀藩出身の大隈重信は鉄道開業に至るまでには、資金の問題、地元の住民や軍部の反対など、様々な困難をダイナミックな発想力と決断力で乗り越えました。

アラカシ広場

・縄文時代の遺跡から出土したアラカシの実が発芽して高さ10メートルほどに育った「縄文アラカシ」を中心として整備された広場。

岩石屋外展示

・佐賀で産出した岩石を屋外(アラカシ広場・佐賀城公園)に展示。

…いかがでしょう。何となく博物館も併設しているからか、築堤や岩石の展示など、いわゆるファインアート以外の資料なども併せて楽しめるのが特徴のようですね。ここに来れば美術だけでなく佐賀県の色んなものやことが分かるスポットですので、皆さんもぜひ足を運んでみて下さい。

ちなみに、途中で記載した現代美術家の池田学さん、私も大好きな作家さんの1人で、以下の図録がおすすめです。皆さんもぜひ手に取ってみて下さい。

池田学 the Pen

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