新トップコンビ二人の名演 宝塚歌劇月組公演「川霧の橋」

月組博多座公演ポスター 宝塚歌劇

月組博多座公演ポスター少し前の話になりますが、博多座に宝塚歌劇月組公演「川霧の橋」「Dream Chaser」を観劇しに行ってきました!
型コロナウイルスの影響でしばらく宝塚大劇場、東京宝塚劇場には行けていなかったので、久しぶりの満を持しての宝塚観劇でした(最近はパブリックビューイングやライブ配信が充実していて、なかなか遠征できない地方民にとっては本当に有難いです)。

宝塚で私の一番大好きな組、月組。実は十年以上追いかけています
今回は前任の珠城りょうさん・美園さくらさんからトップコンビを引き継いだ、新コンビの月城かなとさん・海乃美月さんのトップお披露目公演ということもあり、劇団側と観客側どちらにも並々ならぬ気合いのほどを感じました。
この公演のお芝居作品「川霧の橋」が素晴らしかったので、レビューしたいと思います。あ、先に結論を言っちゃいましたね(笑)。もうとにかく素晴らしかったです、贔屓目抜きで。

本作「川霧の橋」は、山本周五郎の「柳橋物語」と「ひとでなし」という二編の小説が原案となっています。時代小説家の山本周五郎は、江戸に生きる庶民の機微を丁寧に描いた作風で知られています。山本作品は、1997-98年(初演は1974年)の「白い朝」(原作:『さぶ』)、2011年(初演は1971年)の「小さな花がひらいた」(原作:『ちいさこべ』)など、宝塚ではこれまで何度も舞台化されています。本作の場合、前半部分が「柳橋物語」、後半が「ひとでなし」のあらすじを下敷きにされています。
今回の「川霧の橋」は、1990年の月組で初演され、当時のトップコンビ、剣幸さん・こだま愛さんのサヨナラ公演だった作品。実に今回は、21年ぶりの再演ということになります。当時から名作の呼び声高く、再演を望む声が度々上がっていたと言われますが、脚本・演出の柴田侑宏氏が「適役がいない」と見送っていたという逸話で有名です。翻って今回は、月組の新トップコンビ、月城かなとさんと海乃美月さんのお披露目公演です。二人ともトップとしては初舞台ながら、その実力を見込まれて満を持しての再演ということになるでしょう。かねてから演技力の高さで知られていた二人ではありますが、これは本当にすごいことですよね。

宝塚歌劇の作品は必ずタイトルの前にサブタイトル(ショルダータイトルと言うそうです)が付けられていますが、本作のショルダータイトルは「江戸切絵」。これが、本作の魅力を実に上手く表現していると感じます。主人公の幸次郎とお光のみならず、二人を取り巻く実に多彩な登場人物、江戸に生きる町人たちの哀歓を、この作品はまるで切絵――影絵のように実に叙情的に表現しているのです。

江戸の下町、墨田川沿いにつましく生きる人々。都を襲った大火をきっかけに、当たり前のようにそこにあった彼らの日常は大きく変化していきます。そのような中でも懸命に人生を生きる人々の姿を、深い慈しみや共感と共に描いています。
江戸時代、都では火事が多発し、多くの人々の命を奪っていたそうですが、本作でもそのような大火の脅威が苛烈に表現されています。冒頭の、炎の中での台詞のない場面が特に印象的ですが、とりわけ大火に見舞われた女性たちの境遇は特に悲惨に描かれています。
幸次郎に辛くも命を救われたお光は、しかしショックのあまり記憶喪失となり、幸次郎とも生き別れてしまい、一時は浮浪者のように河原を彷徨います。深窓のお嬢様であったお組は家と家族を失い、夜鷹(最下層の売春婦)にまで身を堕としてしまいます。「女三界に家無し」と言いますが、夫や家族などの後ろ盾がなければ生きていけない当時の女性の立場の弱さを、生々しく克明に捉えています。厳しい人生を生きる彼女たちにとって唯一の救いは、周囲の人々から助けの手が差し伸べられるということ。生理用品を買えない女性たちがいるというニュースが最近も話題になったように、現代でも女性の貧困は依然として大きな問題ですが、きっとあの時代の長屋暮らしの人々は、決して裕福ではない中でも当たり前のように助け合って生活していたのでしょう。

ヒロインのお光を演じた海乃美月さんは、恋に恋するおぼこい少女時代から、酸いも甘いもかみ分けた(でも優しく素直な)大人の女性に変わるまでの、一人の女の精神的成長を力演しています。その表現力たるや、もはや圧巻。ほぼ舞台に出ずっぱりで、すさまじい台詞量。喜怒哀楽の感情表現も真に迫っていて、まさに彼女の人生を生き切っています。海乃さんの名演に惹かれ、同じ女性として始終お光に感情移入して観てしまいました。
杉田屋の次期棟梁のお披露目の直後、杉田屋に勤める大工の清吉から突然、結婚の申し込みをされたお光は、女の幸せを夢想して無邪気に喜びます。しかし若棟梁に内定した幸次郎に嫉妬していた清吉は、腹いせに彼の想い人であるお光を奪おうとしたに過ぎませんでした。別の日、実は幸次郎も自分を妻にと考えていてくれたことを知ったお光は戸惑います。幼なじみ二人の間で揺れる彼女の心の乱れようも痛々しいですが、さらに杉田屋と彼女の家族の確執も絡み合うのが切ないです。家同士の結婚が当たり前だった時代とはいえ、大人の事情で子どもの幸せが殺されてしまうというのは悲しいですね。
運命の江戸の大火の日、想いを殺して自分を助けに来てくれた幸次郎に惹かれるお光でしたが、川べりに火の手が迫る極限状態の中、二人は生き別れてしまいます。その後、お光は回復し記憶を取り戻した後に幸次郎と再会するものの、彼はすでに妻を娶った後でした。そして、お光の許にも上方から許嫁の清吉が戻ってきますが、彼もまた、ならず者に身を堕としていて――。

度重なる過酷な運命に翻弄され、一時は人生を決定的に違えたかに見えた幸次郎とお光が、紆余曲折の末に再び心を通わせ、手に手を取り合って生きていこうとする結末を迎えるまでの物語は、とてもドラマティックで深い感動を誘います。さまざまな登場人物の人生が複層的に重なり合い、その中から希望を失わず懸命に生きようとする二人の姿が浮かび上がります。特に、幸次郎の杉田屋での片腕で親友である半次(鳳月杏さん)の情け深さ。台詞の一言ひと言や佇まいから、幸次郎との深い信頼関係が垣間見えます。愛する女性が零落した後も、彼女を想い続ける一途さも泣かせますね。ダークな恋敵の清吉(暁千星さん)は、人生が思うに任せず、悪の道に溺れていく男の姿を色気たっぷりに演じています。時代を嘆く彼の台詞「悪い商人が品物を隠して不当に価格を釣り上げてもお上は黙って見ているのに、俺たち職人の手間賃は厳しく取り締まる。貧乏人はどんなに働いても貧乏から抜け出せないんだ(大意)」からは、たとえ悪の道に身を堕としていても、彼なりの行動原理があることが分かります。奇しくも、現代の日本も同じ状況とも言えますね。しかし、ほんの小さなボタンの掛け違えで人生が大きく変わるというのは、どうしてこんなに切ないのでしょう。

多くの人生の分岐点を乗り越え、在るべき場所にたどり着く幸次郎とお光。観る人々はきっと、自分の人生の分岐点に思いを馳せながら二人の行く末に心を寄せるのではないでしょうか。「芝居の月組」と呼ばれるこの組の底力を遺憾なく発揮し、新トップコンビの行く末に福音を与えた、重厚な素晴らしい作品でした。いつかまた、適役を得て、再演されることを祈らずにはいられない名作です。

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