ミュージカル「ドン・ジュアン」——変化と自己否定

宝塚歌劇

このブログでは絵本をメインに紹介していくつもりですが、映画や演劇、展覧会など、行ったものや観て良かったものにも都度触れていければと思います。

先日、赤坂ACTシアターでミュージカル「ドン・ジュアン」を観てきました。
実は私は宝塚歌劇のかなりのファンでして、外部のミュージカルや舞台を観ることは相対的に少なめですが(とは言っても、この情勢下なので遠方である宝塚大劇場にはなかなか足を運べておらず、配信にすっかり頼りきっているのが現状です)、今回の作品は日本版の初演が宝塚歌劇団だったこともあり、ずっと観に行きたい!と思っていました。
宝塚以外では2度目の上演となる今回の公演では、主演をKis-My-Ft2(ジャニーズ事務所)の藤ヶ谷太輔さんが続投し、ヒロインを宝塚歌劇団を退団して間もない真彩希帆さんが務めています。脇を固めるメンバーも、上口耕平さん(ドン・カルロ)、平間壮一さん(ラファエル)、春野寿美礼さん(イザベラ)、吉野圭吾さん(騎士団長)などと、錚々たる実力派揃いです。潤色・演出は、宝塚歌劇版・外部初演から演出を担当している生田大和さんが続投です。

あらすじは、「ドン・ジュアン」公式Webサイトに掲載されています。
ひたすら快楽を貪り、刹那の愛に身を焦がすために女性たちと関係を重ねる貴族のプレイボーイ、ドン・ジュアン(ちなみに彼は、モーツァルトのオペラでも知られる『ドン・ジョバンニ』と同じ人物です)。ある日、一夜の逢引を女性の父親に見咎められ、決闘の末に彼を殺してしまいます。亡霊となった彼がドンジュアンにかけたのは「愛の呪い」。そこから、ドン・ジュアンの人生は少しずつ狂い始めます——。

私は、この物語を、変化を拒んだ末の自己否定の物語である、と解釈しました。
(※以下、ネタバレがありますのでご注意ください!)
亡霊となった騎士団長の導き(=呪い)で、彫刻家の娘、マリアと出会ったドン・ジュアン。彼女との間に初めての真実の愛を育みますが、マリアに戦地に赴いた婚約者がいることを知って激昂します。彼と対峙して、決闘で決着をつけると息巻くドン・ジュアンですが、それは、自分が永遠の呪いを受けたあの夜、つまり騎士団長との決闘とその末路を再現することに他なりませんでした。
マリアへの心からの愛を自覚しながら、その愛を独占したいがあまり、彼女のかつての恋人を手にかけることすら厭わないドン・ジュアン。愛に目覚めて変わったかのように見えながら、一方で愛ゆえのさらに深い憎しみの牢獄に囚われてしまったことに自分で気がつくことができません。彼のその揺らぎ——しんから人を想う心と底の無い憎しみ——変容と変わり切れなかったところ——が、ラストの劇的な結末をもたらします。彼は憎しみの刃を自分自身に受けることにより、最愛の人への真実の愛を全うさせたのでした。

自分自身の生き方が不道徳で退廃したものであること、どんなに女性を求めても渇きがおさまらないことを、ドン・ジュアンは冒頭から自覚しています。そのねじれを直すこともできず、友人ドン・カルロや父親からの真心も受け取ることができない。その一方で、どんな人をも虜にするというありあまる魅力を備えていることが、彼の立場を複雑にしています。このような分裂の上に生まれる「変化し切れなさ」が、最終的に救いのないようにも見える自己否定をもたらすのですが、ラストではマリアやドン・カルロ、ドン・ルイをはじめ、ドン・ジュアンの存在が多くの人の心に生き続けていることが歌い上げられて大団円となります(これは冒頭の、登場人物たちがドン・ジュアンを追憶するシーンに連環してもいます)。最後の最後で彼が自身の変化を受け容れたことによって、彼の存在は人々の心に刻みつけられ、永遠のものになったのでした。
悲しくも、愛と憎しみ、そして生についての本質的なことが語られている物語だと思いました。

楽曲の作詞・作曲は、フェリックス・グレイ(Félix Gray)氏。フレンチ・ミュージカル界で活躍する音楽家とのことです。この作品はとにかく音楽の圧がすごい!フラメンコなど、いかにもスペインらしい血湧き肉躍るような楽曲がどの場面もどの場面も容赦無く心をかきたててきます。それを歌い、踊りこなす出演者たちのバイタリティとパフォーマンスも素晴らしかったです。かっこいい、とにかくかっこいい!
フラメンコの中に足を打つ振り(サパテアートと言うみたいです)が要所要所で取り入れられていて、カン!というこの音をきっかけとして舞台上の空気の色がガラッと変わるのに鳥肌が立ちました。
舞台美術も、主人公ドン・ジュアンの心の渇きを代弁するかのような赤い砂漠からスタートし、冷たく重々しい石のセット、恋人同士の瑞々しい心の動きを語るかのような吊り下げられた布の演出など、物語と深くリンクしてとても印象に残りました。松井るみさんがご担当されているとか。さすがです。

ただ、楽曲や舞台美術、そして出演者のパフォーマンスのいずれもが素晴らしかっただけに、演出部分でもう少し奥行きを持たせて欲しかったな、と感じる部分もありました。例えば、自堕落な面が強調され、乱暴な台詞回しが多いドン・ジュアンがなぜそれほどまでに魅力的なのか、人を惹きつけるのか(俳優が魅力的、というだけで見せ切れるものではないですよね)。ヒロインが彫刻家であることのメタファー的な意味とは(彼女が自立した女性であるからこそ、ドン・ジュアンはあれほど惹かれたのだとは思いますが)。ドン・カルロや父ドン・ルイとの交歓や絆も、もう少し深掘りできた部分ではないかと思います。ラストの演出、ドン・ジュアンは一人の女性に恋したからこそ、最終的に周囲からの愛情にも気づくことができた、と思いたいです。

源氏物語しかり、カサノヴァしかり、強い男性性を持つ主人公と真実の愛、という物語は、国や時代を超えて普遍的に語られ続けるものの一つのパターンですが、だとすればこの多様性の時代に、「唯一無二の愛」というテーマを語り直し、観客に届けることの意味は、もっと届けてほしかったなとも感じました。

…ふう。筆に力が入り、長くなってしまいました。
誰もが心置きなく舞台や映画を楽しめる日が、早く完全復活することを祈るばかりです。

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