信楽(しがらき)の里にたたずむ桃源郷ー信仰に生きた女性が建てた、美を通して世の中を平和で楽しいものにするための里 滋賀:MIHO MUSEUM

滋賀県

こんにちは。今日から関西ですね。今日は滋賀県です。実は滋賀県、数は大都市圏ほど多くはないですが、ものすごくユニークな館が立地しています。今日はそのうちの1館目です。

ここは私も実は前々から行ってみたいと思っていたところで、その魅力はコレクションがどちらかというと古代よりでありながら、その斬新な、まるで現代アートのような建物とそれらが織りなすその空間、空気感が、まるで桃源郷のような雰囲気を写真の中からも醸し出しており恐らく私以外の方も一度は気になったことがある美術館ではないかと思っています。

このブログで紹介する美術館

MIHO MUSEUM

・開館:1997年
・美術館外観、内観(以下画像は美術館HP、県観光協会より転載)
  
→後ほど詳しくご紹介しますが、建物はルーブル美術館ガラスのピラミッドで知られる中国系アメリカ人:I.M.ペイによって設計。有名なコレ↓と同じ設計者です。
※写真はRETRIPホームページから転載(https://rtrp.jp/articles/79847/

・場所
MIHO MUSEUM – Google マップ
→美術館のコンセプトが「源郷」ということなのですが、こちら住所は「滋賀県甲賀市信楽町田代桃谷」です。まさかがつくところを敢えて選んだのでは…詳しい方教えてください。

信楽(しがらき)の里にたたずむ桃源郷ー信仰に生きた女性が建てた、美を通して世の中を平和で楽しいものにするための里

・1997年、滋賀県信楽焼の里、自然豊かな山間に開館。 美術館名称の「MIHO」は宗教法人神慈秀明会の会主で創立者の小山美秀子(こやまみほこ:1910-2003)にちなんで名付けたもの。「美術を通して、世の中を美しく、平和に、楽しいものに」との想いからはじまったコレクションで、多彩な日本美術とともにエジプト、西アジア、ギリシア、ローマ、南アジア、中国などの世界の古代美術を展示。

パリ・ルーヴル美術館ガラスのピラミッドなどをてがけたI.M.ペイの桜に包まれた遊歩道からトンネルと橋を経て美術館へと至る構想は、中国の古典、陶淵明の「桃花源記」に描かれた桃源郷がモチーフ。

※桃源郷…一人の漁師が芳香漂う桃花林に導かれるように彷徨い込んだ洞窟の向こうに、理想の楽園が広がっていたという物語。里では誰もが楽しそうに暮らし、漁師を家に招いてもてなしたという言い伝え。

→このトンネルを抜けて里にたどり着くコンセプト…どこかも同じだったなと思ったら新潟県:越後妻有「大地の芸術祭」もそうでしたね。
また、川端康成氏の著作「雪国」の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」 も思い出しました。なぜ人は「トンネルを抜けた先」という情景が好きなのでしょうね。桃源郷はもともと中国のお話なので、これは特段日本人だけ…というわけではなさそうです。(陶淵明、4世紀頃の文学者なのでそういうイメージの歴史をさかのぼるとだいぶ古いようですね)

建築について

・MIHO MUSEUMは、ルーブル美術館ガラスのピラミッドで知られる中国系アメリカ人のI.M.ペイによって設計されたと述べました。桃源郷をモチーフにした構想は、しだれ桜の並木道に導かれ、トンネルと吊り橋を越えて美術館に至るという大らかで詩情あるアプローチを生みます。美しく弧を描くトンネルを進むと、谷に架かる橋の向こう側に、入母屋型の屋根をしたエントランスが。その建築・設計は、環境を保護するためにあり、全体の約80%が地中に埋設され、山に溶け込んでその全容を見せることはありません。 落ち着いた佇まいの入口に一歩足を踏み入れると、ガラスの屋根から降り注ぐ光と優しいベージュ色のライムストーンの壁面に包み込まれ、彼方まで穏やかな山々が連なる大空間が広がるつくりです。 あたかも自然の中に佇んでいるような感覚を覚えるな空間を意識してつくられたとの事。なお、ペイはこれをつくるにあたって以下のような名言を残したそうです。

・「自然の中に同化した建物のすがたが、非常に意識的にデザインした結果だということをわかってもらえると信じている」

・「日本の昔の建築家は、土地と建物そして景観を調和させる、そういったフィーリングをもっていました。もちろん、わたしは真似はしたくありません。しかし、日本人の心、文化、伝統を尊重したいと強く思いました。

・「私は確信しているのです。光こそが建築にとってその成否の鍵を握っていると」とペイは語っているそうです。

I.M.ペイとは

(以下は美術館HPからの引用です)
・I.M.ペイは20世紀最も成功したアジア系のアメリカ人建築家として知られています。その作品は21世紀を迎えた今日でも各国のランドマークとなり、国家の文化イメージにまで広がっています。ペイは1917年、中国で代々地主を務めた裕福な家系に生まれ、上海のフランス租界で英米風の文化と教育を受けて育ちました。母に中国文化、祖父から儒教の徳を学び、叔父が所有していた名庭「獅子林」の異形の岩や道教から得た真理を探る感性を後に建築に生かすようになります。17歳で渡米し、ペンシルヴェニア大学の建築科を経てボストンのマサチューセッツ工科大学(MIT)の工学科に転入後、再び建築学を専攻しました。洗練されたケンブリッジの町の洗練されたステータスがペイの一生の好みを決定づけたといいます。

1940年、MIT卒業後、ボストンのストーン&ウェブスター社でのエンジンの製図工を経てハーバード大学大学院の修士課程に入学、モダニズム運動の中心的人物だったワルター・グロピウスの講義を受けますが、モダニズムがインターナショナルスタイルになることに疑念を抱き、文化の多様性に従ったモダニズムを意識するようになります。

卒業後、中国帰国後に不動産の知識が不可欠との思いからウェッブ&ナップ社に入社し、鋼とガラスの構成で知られるミース・ファン・デル・ローエの影響を受けながら、第二次大戦後の全米都市再開発に携わるようになります。文化大革命の影響から帰国を断念し1954年にアメリカ国籍を取得し、1960年、I.M.ペイ&アソシエイツ(1965年名称をI.M.ペイ&パートナーズに変更)を設立しました。

1967年、ミース流から脱却した彫刻的な幾何学構成でコロラド州ボルダーに国立大気研究センターを設計、これが後に「幾何学の魔術師」と称されるターニングポイントになりました。

1964年、ジョン・F・ケネディ記念図書館の設計者に大抜擢されたことから社交界での交流関係が広がり、そこからワシントン・ナショナルギャラリー東館等の代表作品が生まれ、フランス・ルーヴル美術館の改装計画でガラスのピラミッドをデザインすることになります。その後もMIHO MUSEUMや蘇州博物館、ドイツ歴史博物館、カタール・イスラム芸術美術館等、依頼された国の歴史と文化を上品で洗練された幾何学に取り込み表現していきました。

ペイの功績は、文化と歴史から最良のものを読み取る類まれな感性で、時代の最先端の技術を用いてモダニズム建築に品格を与え、高次元の芸術作品として昇華してみせたことでしょう。

→その他、美しい館内のフォトギャラリーについてはコチラからも見ることが可能です。
・MIHO MUSEUMフォトギャラリー:https://www.miho.jp/architecture/gallery/

I.M.ペイ(略歴)

・1917年、中国・広東で生まれる
・1940年、マサチューセッツ工科大学卒業
・1946年、ハーバード大学デザイン学部大学院修了
・1948年-55年、Webb&Knappのディレクターを勤める
・1955年、Pei Cobb Freed&Partners(旧I.M.Pei&Partners)設立

I.M.ペイ(主な作品)

・1967年、国立大気研究センター(コロラド州 ボルダー)
・1968年、エバーソン美術館(ニューヨーク州 シラキュース)
・1973年、コーネル大学ハーバート・F・ジョンソン美術館(ニューヨーク州 イサカ)
・1976年、マサチューセッツ工科大学ラルフランドー化学工学ビルディング(マサチューセッツ州 ケンブリッジ)
・1977年、ダラス市庁舎(テキサス州 ダラス)
・1978年、ナショナル・ギャラリー東館(ワシントン)
・1979年、ジョン・F・ケネディ図書館(マサチューセッツ州 ボストン)
・1981年、ボストン美術館西館(マサチューセッツ州 ボストン)
・1989年、中国銀行(香港)
・1989年、モートン・H・メイヤーソン・シンフォニーセンター(テキサス州 ダラス)
・1989年、ルーブル美術館ピラミッド(パリ)
・1990年、神慈秀明会ベルタワー「ジョイ・オブ・エンジェルス」(滋賀 信楽)
・1993年、フォー・シーズンズ・ホテル(ニューヨーク)
・1995年、ロックン・ロール・ホール・オブ・フェーム・アンド・ミュージアム(オハイオ州 クリーブランド)
・1997年、MIHO MUSEUM(滋賀 信楽)
・2001年、中国銀行本店(北京)
・2003年、ドイツ歴史博物館(ベルリン)
・2006年、グラン・ドュック・ジャン近代美術館(ルクセンブルグ キルヒベルグ)
・2006年、蘇州博物館(中国 蘇州)
・2008年、イスラム美術博物館(カタール ドーハ)
・2012年、MIHO美学院中等教育学校 チャペル(滋賀 信楽)

I.M.ペイ(主な受賞)

・1976年、トーマス・ジェファーソン記念 建築部門賞
・1979年、アメリカ建築家協会(AIA) ゴールドメダル
・1983年、プリツカー賞
・1989年、高松宮殿下記念世界文化賞
・2003年、スミソニアン協会 ナショナルデザイン賞
・2006年、アーウィン・ウィッカート財団 東洋西洋文化賞

主なコレクション

日本美術

 

東アジア美術


 

南アジア美術

西・中央アジア美術


  

エジプト美術

ギリシア・ローマ美術

アメリカ美術


 

(付録)信仰に生きた女性:小山美秀子

・宗教と書くと毛嫌いする方もいるかもしれませんが、本ブログではあくまでその美術館を形づくった重要な人物がどのような遍歴を経て美術館建設、コレクション形成に至ったのかをみるため敢えて触れます。(私、この宗派に所属しているわけでもないため、そこまで詳しくは記載できませんが)

小山美秀子とは

(以下も美術館HPから引用です)
・小山美秀子(こやまみほこ)は1910年大阪で生を受け、日本の四季の行事やしきたりを大切にする家庭に育ちました。女学校卒業後、情操的なものに憧れて東京の自由学園に進学した小山は、キリスト教精神を背景とした「人としてこの世に生まれた以上は社会に奉仕すべきである」という教えに深く感銘を受けます。また、寮生活を通じて学んだ「生活即教育」「独立と協調の精神」は、その後の人生の基盤となりました。

そして、哲学者・精神的指導者であり、のちに生涯の師となる岡田茂吉師(1882‐1955)と出会います。「真の文明世界は、換言すれば“美の世界”すなわち“芸術の世界”である」と説く岡田師のもと、ひたむきに信仰の道に邁進し、神慈秀明会を発会。岡田師の思想を受け継いだ小山は、美しいものを求め、それにふれることは精神の高みをもたらし、ひいては美しい社会をうみだす――その信念のもとに、世界の平和と幸福のために生涯をささげました。

→芸術に触れることで、魂が清まり、人徳が向上するという教え…そんな教義を打ち出している宗教法人があるの知りませんでした。…まあ、とにもかくにも背景は色々あれ、マウス的には芸術を愛する人と素晴らしい建物、コレクションがあればほかは無問題(適当w)です。ということで、今日はここまで。引き続き、本ブログ「絵本と、アートと。」をよろしくお願いします。

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