こんにちは。今日ご紹介する美術館、東京都美術館や上野の森美術館同様に上野恩賜公園内に立地し、「松方コレクション」という20世紀を代表する歴史的なコレクション群を有することで有名な国立美術館です。また、その美術館(本館)の設計は、フランス人建築家:ル・コルビジェによる日本唯一の建造物で、建築ファンの間でも有名な建物です。(重要文化財)
そんな歴史をもつ日本にいながら西洋美術が楽しめる貴重な国立美術館、早速見ていきましょう。
このブログで紹介する美術館
国立西洋美術館
・開館:1959年 ※東京国立近代美術館とそんなに年次変わりませんね
・美術館外観(以下画像は美術館HP、独立行政法人国立美術館、都、観光協会HPより転載)
→フランス人建築家:ル・コルビジェによる日本唯一の建造物です。(重要文化財)
印象派およびロダン彫刻を中心としたフランス美術コレクションを基礎にルネサンス以降20世紀初頭までの西洋美術を広く紹介
・フランス政府から寄贈返還された松方コレクション(印象派の絵画およびロダンの彫刻を中心とするフランス美術コレクション)を基礎に、西洋美術に関する作品を広く公衆の観覧に供する機関として、1959(昭和34)年に発足。以来、広く西洋美術全般を対象とする唯一の国立美術館として、展覧事業を中心に、西洋美術に関する作品および資料の収集、調査研究、保存修復、教育普及、出版物の刊行等を行っています。
これらの事業のうち、展覧事業に関しては、本館(ル・コルビュジエ設計、1959年)・新館(前川國男設計、1979年)において、美術館設立の趣旨である松方コレクションの作品および創立以来毎年購入しているルネサンス以降20世紀初頭までの作品および寄贈・寄託作品を常設展として年間を通して開催。
また、企画・特別展専用の展示室として1997(平成9)年度竣工した企画展示館において欧米等の美術館からの借用作品による企画展を、新聞社等との共催展として年3回程度開催。2016(平成28)年には、国立西洋美術館を構成資産に含む「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」が、世界遺産一覧表に記載されました。
松方コレクションとは
・明治大正期の実業家:松方幸次郎氏が収集した印象派およびロダン彫刻を中心としたフランス美術コレクション。松方幸次郎氏が美術品の収集を始めたのは、第一次大戦中のロンドン滞在時のことで、大戦により造船で多大な利益を上げた松方氏は、1916(大正5)年から約10年の間にたびたびヨーロッパを訪れては画廊に足を運び、絵画、彫刻から家具やタペストリーまで、膨大な数の美術品を買い集めました。
現在は東京国立博物館が所蔵する、パリの宝石商アンリ・ヴェヴェールから買い受けた浮世絵コレクション約8千点を含め、彼が手に入れた作品の総数は1万点におよぶと言われます。松方氏が美術にこれほどの情熱を傾けたのは、決して自らの趣味のためではなく、自分の手で日本に美術館をつくり、若い画家たちに本物の西洋美術を見せたいという気概をもって作品の収集にあたっていたと言われています。
松方氏は購入した作品を持ち帰り、「共楽美術館」と名づけられた美術館の建設計画・準備をしていました。(それらは松方氏の友人で美術品収集の助言者でもあったイギリスの画家、フランク・ブラングィン(1867−1956)が設計案を作り、東京の麻布に用地を確保。)
しかし、松方氏の夢だった「共楽美術館」が日の目を見ることはなく、1927(昭和2)年の経済恐慌により状況が一変、メインバンクの十五銀行の休業によって川崎造船も経営危機に陥り、松方氏は社長の座を降りて自らの財産を会社の財務整理にあてます。日本に運ばれていた美術品は数度にわたる展覧会で売り立てられ、散逸してしまいます。
松方氏が収集した美術品のうち、かなりの数がヨーロッパに残されていましたが、ロンドンの倉庫にあった作品群は1939(昭和14)年の火災で失われ、現在ではその内容や数さえも確かではありません。一方、パリに残された約400点の作品は、リュクサンブール美術館(当時のフランス現代美術館)の館長レオンス・べネディットに預けられ、彼が館長を兼任したロダン美術館の一角に保管されていました。
この作品群は第二次大戦の末期に敵国人財産としてフランス政府の管理下に置かれ、1951(昭和26)年、サンフランシスコ平和条約によってフランスの国有財産となります。しかしその後、フランス政府は日仏友好のためにその大部分を「松方コレクション」として日本に寄贈返還することが決定。このコレクションを受け入れて展示するための美術館として、1959(昭和34)年、国立西洋美術館が誕生したのです。
→いかがでしょう、松方コレクションがたどった歴史、それだけでも大変なことであった様子がわかると思います。
松方幸次郎とは
・1950年、鹿児島生まれの実業家。明治の元勲で総理大臣も務めた松方正義の三男。東大予備門中退後、明治17(1884)年アメリカに留学。エール大学で法学博士号を取得し、1890年に帰国。日本火災副社長などを務めたのち、川崎正蔵の創立した川崎造船所社長に1896年に就任、積極的な拡張戦略を遂行し同社を一時は日本最大の造船企業に成長させる。
第1次世界大戦期には自らヨーロッパに出向き、同地から著名なストック・ボート政策や多角化を指揮。その結果、同社は海運、製鉄部門を擁する巨大企業になるが、戦後の不況期には積極策が失敗して経営が危機を迎えたため、昭和3(1928)年に社長を退任。この間、神戸商工会議所会頭のほか、神戸瓦斯など多数の企業に関係、その後1932年に旧ソ連の石油の輸入に従事、1936年から敗戦まで衆院議員を務めた。
ル・コルビジェとは
・国立西洋美術館、美術館(本館)の設計は、フランス人建築家:ル・コルビジェによる日本唯一の建造物で有名ですが、ル・コルビジェについていま一度振り返っておきましょう。
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・1887年、スイス、ラ・ショー・ド・フォン生まれのフランス人建築家、画家。本名はジャンヌレCharles Edouard Janneret。同地の美術学校に学んだのち、ペレやベーレンスの事務所で短期間働いたが、建築はほとんど独学。1917年からパリに定住し、1920年代から本格的に活動を開始。
画家オザンファンと『エスプリ・ヌーボー』誌によりピューリスム(純粋主義)の運動を主張、執筆活動のかたわら、絵画ではキュビスム風の静物画に基づき、さらに形と色の整頓された作品を描く。『エスプリ・ヌーボー』の論文は、のち『建築をめざして』(1922)、『ユルバニスム』(1924)にまとめられ、また具体的に都市のスケールでまとめた計画案「現代都市」(1922)、「パリのボアザン計画」(1925)などによって、国際的な合理主義建築思想を打ち出していった。
実作は住宅が中心で、エスプリ・ヌーボー館(1925)、ワイセンホフ・ジードルンクの住宅(1927)、ガルシェのシュタイン邸(1929)、ポワッシーのビラ・サボワ(1931)などが知られる。このうちビラ・サボワは、端正な白亜の幾何学的形態のなかに、いわゆる近代建築の五原則(ピロティ、独立骨組みによる水平建築窓、自由な平面、自由な立面、屋上庭園)を織り込んだもので、初期のル・コルビュジエのスタイルを決定づける作品となった。
1927年、ジュネーブの国際連盟会館の競技設計で、彼の応募作が最終段階で審査員団に拒否されたことを契機に、近代主義の建築思想を組織化する必要を痛感、翌年CIAM(シアム)(近代建築国際会議)の結成を主宰し、以後この組織の事実上の推進者となる。1930年代の実作品には、パリのスイス学生会館(1932)、パリ郊外週末の家(1935)、ブラジルの教育保健省(O・ニーマイヤーと共同設計、1945)などがあるが、この時期はCIAMを舞台にした都市計画の提案に多くの労力を割いた。
第二次世界大戦後は、国連の会議事務施設のための企画と基本設計に始まり、マルセイユのアパート「ユニテ・ダビタシオン」(1952)、奔放な彫刻的形態のあるロンシャンの礼拝堂(1955)のほか、リヨン近郊のラ・トゥーレット修道院(1960)、東京の国立西洋美術館(1959)などを残す。また、1950年代にはインドのチャンディガルの都市計画にも意欲を示し、高等裁判所(1955)などの庁舎建築を設計。
1965年8月27日、南フランスのロクブリュヌ・カップ・マルタンで没。
彼は生涯を通じて近代合理主義を推進しながらも、その基調にはギリシア以来の古典主義美学に対する優れた感覚があり、これをさらに洗練させて鉄筋コンクリート建築の新しい局面を切り開いたことから、近代建築における巨匠としての位置づけがなされている。
主な収蔵品
・松方コレクションを中心に、絵画、彫刻、素描、版画、写本、工芸などの分野にわたり、およそ6,000点の作品を所蔵しています。
14世紀〜16世紀 後期ゴシック美術、ルネサンス美術、マニエリスム美術
<マリオット・ディ・ナルド>
17世紀 バロック美術など
18世紀 ロココ美術など
・ユベール・ロベール
→このあたりの時代が大好きな方も多いかもしれませんね。エレガントです。以前ご紹介した愛知県のヤマザキマザック美術館、こちらもロココ時代の名品が揃っていますので画像を見てピンときた方は是非足を運んでみて下さい。(ロココ時代の描き方…結構その後に続く油彩画の描き方の基礎になっているところが多いのも魅力です。もしかしたら美大を目指している学生の中にはこれら作品を模写したことある人もいるかもしれませんね)
19,20世紀 第二次大戦前
・クロード・モネ
・オーギュスト・ロダン
→「あ!考える人だ!」と思われた方、そうです、日本でも見ることができます。こちらは1902年から1904年にかけて、ロダンの良き協力者であったアンリ・ルボッセの手によって1880年の原型に基づいて拡大された作品との事。
→こちら全て画像は美術館HPからなのですが、筆のタッチや古い絵は画面ひび割れなども見ることができるほどの画質と大きさで載せてくれており、我々美術館のPRをブログで発信している人たちからしたら有難い限りです。(…ただ、恐らく著作権の関係なんでしょうが、マックス・エルンストの作品「石化した森」だけだいぶ画像が小さくて恐縮です。見たい方はぜひ直接足を運んでみて下さい)
20世紀 第二次大戦後
→ジャン・デュビュッフェ、誰も興味ないかもしれませんが私(マウス)の5本の指に入るくらい好きな作家さんです…理由は本ブログのタイトルから想像してみて下さい。ある程度の絵画的な知識やスキルも必要ですが、このように子供の無垢な想いで描けるというのはもっとも凄いことだと個人的には感じています。
(参考)
○国立西洋美術館 作品検索:https://collection.nmwa.go.jp/artizeweb/index.php
なお、国立西洋美術館では「Google Arts & Culture」と称し、研究員によるギャラリートークの動画を公開しています。(「Curators’ Talks on the Collection of NMWA, Part I」(本館に展示される作品より9点)、「Curators’ Talks on the Collection of NMWA, Part II」(新館に展示される作品より9点)を日本語、英語、中国語、韓国語で紹介)
絵画のタッチが見えるような大きさまで拡大できる高精細な画像と共に、研究員が各作品の見どころなどをおよそ3分にわたり解説した動画を見ることができ、中には世界遺産に登録された本館の建物や展示室内を、実際に歩いて巡っているような感覚でご覧いただけるミュージアムビューも公開中との事。以下にURLを載せておきますのでぜひお試しください。
○国立西洋美術館では「Google Arts & Culture」:
https://artsandculture.google.com/partner/the-national-museum-of-western-art
また、常設展においては2022年春のリニューアル以降、随所に所蔵品による小規模なコーナー展示を組み込み、とりわけテーマ性の高いものを「コレクション・イン・フォーカス(Collection in FOCUS)」と名付けて、解説パネルとともに展示されています。所蔵作品に関するより詳細な考察や、作品同士の新たな知見、そして調査研究の成果を堪能いただきたいとの事。(Collection in FOCUS、過去のアーカイブ:https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2022CinF.html)
いかがだったでしょうか、国立西洋美術館。
恐らく本館にいると途中で日本にいることを忘れてしまうのではないか、そんな感覚にも陥るほどの西洋美術の質と量です。松方コレクションが果たしてきた役割と、いまでもコレクションは研究員の方々の審美眼で増えていますので、これまでも・これからも国内においてここまでの質と量の西洋美術コレクションを見ることができる館は滅多に現れないと思います。
※余談ですが、私個人的には、西洋美術は大学などアカデミックレベルの研究者は多い一方で、このように実践の場としてのミュージアムの間口(…要は就職口)は非常に狭き門で日本の西洋美術取扱いにおける課題のような気がしています。
…いずれにしてもそんな希少な美術館、上野にお立ち寄りの際はぜひ足を運んでみて下さい。きっと素敵な作品たちに出会えると思います。
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