こんにちは。昨日のゲームの話、
娘が「星のカービィ」にはまっています。
皆さん「星のカービィ」はご存じでしょうか?HAL研究所が任天堂と協同で1992年にリリースした世界累計4000万本の販売数を誇る日本屈指のゲームブランドですね。
個人的には「星」が名称に付く世界的な3大ブランドは「星野リゾート」、「星乃珈琲」とこの「星のカービィ」だと勝手に思っています。
※ちなみにGoogleで「ほしの」と検索すると圧倒的に「星野リゾート」が上位にくるんですよね。さすが世界的企業…ブロガー視点ですが、SEO対策しっかりしてます(笑
さて、この「星のカービィ」、どうやら4歳の子どもには大人とは少し違った見え方をしているようで、昨晩「お風呂早く入れたら星のカービィする?」って娘に聞いたところ、「嫌だ!夜にカービィすると怖いもん!」と返されました…カービィ、4歳にとっては「バイオハザード」的な感じに見えているのでしょうね。また新鮮な視点でした。
確かに、「敵を無邪気無尽蔵に吸い込んでコピーし、身体を膨らまして空を飛ぶ1頭身のキャラ」って冷静に考えると怖いのかもしれません。
ちなみにカービィのあらすじは以下の通りです。
~とある小さな星の小さな国「プププランド」。この国に住むひとたちは、あきれかえるほどの平和な日々を送っていた。しかしある日の夜、「デデデ山」に城を構える「デデデ大王」が手下を連れて現れ、国中のあらゆる食べ物と、国に伝わる秘宝「きらきらぼし」を奪い去ってしまった。
国のひとびとは宝を奪われた悲しみに暮れ、同時に今後の食べ物のことを考え困っていた。そうした中、旅を続けるひとりの若者がプププランドを訪れた。悩めるひとびとの声を聞いたその若者・カービィは、秘宝と食べ物を取り戻すため、デデデ山へと向かった~
…つか、カービィって若かったんですね。人は見た目によらず、ですね。(人じゃないけど)
ところで、平和っていうのは喜ぶべきものなのでしょうが、「あきれかえるほどの平和」という視点に作者の想いが込められている気がします。また、秘宝と食べ物が同列に並んでいるのも面白いですね。普通はお宝より食べ物でしょう…と思うのですが、なんかこの視点はアートを中心に書いている自分としては身につまされる話です。
では、美術館紹介続けます。
このブログで紹介する美術館
モエレ沼公園(北海道札幌市)
・開館:2005年 ※前に紹介した3館よりも新しいです。なので若干ここはメディアへの露出度高い気がします。
・美術館外観(以下、写真は美術館HP及び市観光協会HPより転載)
・場所
モエレ沼公園 – Google マップ
→札幌市中心部にこんな広大な公園を設けることができるって、北海道素敵ですね。
公園全体が「1つの彫刻作品」
・彫刻家イサム・ノグチが手がけた公園です。「モエレ」はアイヌ語の「モイレペッ」(意:静かな水面・ゆったりと流れる)が由来だそう。広大な敷地には幾何学形態を多用した山や噴水、遊具などの施設が整然と配置。春にはサクラが咲き、夏には水遊び場や噴水など札幌のさわやかな夏を彩る施設がオープン。秋には紅葉、冬は一面の雪景色の中でクロスカントリースキーやソリ遊びが楽しめるなど、四季折々の魅力を持っています。
公園のコンセプト
・「全体をひとつの彫刻作品とする」
→そんな公園、世界広しといえどもここだけかもしれません。
主なコレクション
<イサム・ノグチ>
イサム・ノグチとモエレ沼公園
・最後にイサム・ノグチさんと本公園造成に関わる良いお話があったのでご紹介しておきます。(以下、公園のHPより)
イサム・ノグチは、日本人の詩人であり英文学者の野口米次郎とアメリカ人で教師で編集者のレオニー・ギルモアとの間にロサンゼルスで生まれました。 幼少期を日本で過ごし、アメリカ、フランスで彫刻を学んだノグチは、戦後、東西の芸術精神を融合した多岐にわたる彫刻を制作、大地の彫刻ともいえるランドスケープ・デザインを次々と発表するなど、20世紀を代表する彫刻家のひとりとして知られています。
1988年3月、ノグチは初めて札幌を訪れました。札幌のある起業家から、「札幌なら長い間温め続けてきた数多くのプレイグラウンドのアイディアを実現できるかもしれませんよ」と誘いを受けます。世界的な彫刻家であるノグチが札幌を訪れると聞き、札幌市はぜひ作品を設置して欲しいといくつかの候補地を提案しました。挙げられたいくつかの候補地の中で、ノグチは既に建設がはじまっていたモエレ沼公園に強い関心を寄せます。ノグチが訪れたとき、モエレ沼の内陸部は不燃ゴミの埋め立て地として利用されていました。ゴミの舞い散る大地に立ち、ノグチは「人間が傷つけた土地をアートで再生する。それは僕の仕事です。」と言い、モエレ沼公園の計画に参加することを希望しました。
この公園事業に強い関心を持ったノグチの期待に応え、札幌市は公園の設計を委託。「公園全体がひとつの彫刻作品」という考え方がノグチから提示され、周辺の環境や景観との調和をはかりながら、ダイナミックな地形造成を行うというマスタープランが、瞬く間に形づくられていったのです。モエレ沼公園を訪れてから8ヶ月後の11月17日、ノグチの誕生パーティーではモエレ沼公園の2000分の1の模型が披露されました。 ところが、予期せぬことが起こりました。ノグチが急病のためこの世を去ってしまったのです。モエレ沼を初めて訪れてから9ヵ月後のことでした。
札幌市では、マスタープランが完成済みであることと、詳細の指示を受けていたイサム・ノグチ財団の監修と活動を支援してきた人々の協力を得られることになったことから、公園造成を継続することに決定し、ノグチの亡くなった翌年から本格的な造成工事がスタートしました。 そして、1982年の造成開始から23年後、ノグチが設計に参画した1988年からは17年後の2005年、モエレ沼公園は最後の施設である「海の噴水」の完成とともにグランドオープンしました。ノグチの遺作ともなるモエレ沼公園は、札幌市の最重要テーマである「環境と文化」を見事に具現化したモデルケースであり、この公園の誕生は、札幌の歴史に誇りある新たな1ページを刻み込んだのです。
…「(ゴミにより)人間が傷つけた土地をアートで再生する。」…どこかで聞いたようなコメントですね。(知りたい方は本ブログ「豊島」で検索)
ところでイサム・ノグチさん、公園の完成を見ずに亡くなられたんですね。しかも造成に23年もの月日が重ねられたことも知りませんでした。
「地球を相手にする彫刻家」とはこのようなことなのかもしれません。
モエレ沼公園…
イサム・ノグチさんの想いと23年の月日をかけ、北海道・札幌の人たちにとって、それこそカービィでいう「きらきらぼし」になったのかもしれませんね。
今日も勉強になりました。
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