こんにちは。
これまで写真、漫画、なまはげ、はたまた錦鯉までアートとして(広義という名を通り越して半ば乱暴に)定義し、本ブログでご紹介してきました。そんなアートの奥深さ…今日も感じられるかもしれません。
今日ご紹介する美術館は「石材」をテーマとした美術館です。
「石ですか…」と思ったあなた、そういう方ほど行ってほしいアート空間かもしれません。(でも確かに、日本に住んでいる人が石について考えることって数年に1回しかないかもしれませんね。それこそお城の石垣見た時とか…)
先に言っておきますと、この美術館、木材が主体の日本の建造物において、石材を使用し、その石材が中心世界の欧米において、日本の石材建築作品として初めて国際石材建築大賞[International Stone Architecture Award 2001 (イタリア)]を受章したというとんでもない建物です。では早速。
このブログで紹介する美術館
那須芦野 石の美術館
・開館:2001年
・美術館外観(以下、画像は美術館HP、県・市観光協会HP、建築家:隈研吾設計事務所HPより転載)
→隈研吾さん設計です。日本人としては磯崎新さん以降2人目の国際石材建築大賞受賞でした。
・場所
那須芦野・石の美術館 STONE PLAZA – Google マップ
→那須塩原の近くですね。
「奥の細道」の舞台で奏でられる石材の領域を超えたアート空間
石の美術館…まずはこの美術館を紹介している以下のYoutube動画をご覧ください。(この動画、ある意味で素晴らしいです。ある意味で…の意味は見たら分かります。お下品で途中で嫌になった方も7分あたりまで見てみて下さい。ちなみにこの動画をご紹介したかったから本ブログを書いたと言っても過言ではないくらい)
→この動画を初めて見はじめた時の私の感想:「さすが石の美術館、なんか普通の美術館と違ってファンキーそうな人が紹介しているな」でした…そして5分過ぎからの「俺の三葉虫見せてやる」発言…私、そっとこの動画を閉じようとしましたw
…でも!この方、6分過ぎからのピアノの実力すごくないですか?
ピアノができれば何言ったっていいのかよ、と思われるかもしれませんが、このギャップがこの動画の魅力に繋がっているような気がします…
うん、こんなアーティスト、いていいと思います。
[完全に脱線していますが、この動画の方、気になる人も多いのではないでしょうか。
筒井はじめさんというデザイナー、アーティスト、実業家の方で、ご本人もアートを生業とされているそう。個人的にかなりツボでした。(筒井はじめHP:https://www.tsutsuihajime.com/)
※どうでもいいですが、私、サッカー好きなので、現:コンサドーレ札幌(元:浦和レッズ)の興梠慎三選手にすごく似ているなと。(ググってみて下さい)
館内の空間
那須芦野・石の美術館STONE PLAZAができるまで
・美術館HPには「那須芦野・石の美術館STONE PLAZAができるまで」と題し、すごく丁寧にこの美術館の成り立ちや写真についてご説明されていました。私のこれまで見てきたどの美術館よりも説明が丁寧で文字フォントも工夫されており交換が持てました。(詳細はコチラ→http://www.stone-plaza.com/information/story.html)
以下、要約して載せておきます。
那須町芦野地区
・現在の栃木県・那須町は、50年程前に旧芦野町、伊王野村、那須村が合併してできた町。福島県白河市との県境、栃木県の最も北に位置し、那須高原・温泉地帯から車で30分程の那須町の東部に芦野地区がある。芦野は、江戸時代の五街道のひとつとして整備された旧奥州街道(現在の国道294号線)沿いの宿場町で、城下町の面影を残す地区となっている。
また、米作を中心とした農業地帯で、木材や石材の産地でもある。付近には、松尾芭蕉が「奥の細道」で立ち寄り俳句を詠んだ遊行柳や多くの史跡、隈研吾氏設計の建物で、那須町の歴史を知ることのできる那須歴史探訪館などがあり、昔ながらの田舎風景が残る貴重な地域である。
芦野石・白河石の歴史
・芦野石・白河石は栃木県那須町芦野及び福島県白河市を中心に採掘される石英安山岩質溶結凝灰岩を指す。花崗岩に比べてやわらかい準硬石で比較的加工しやすく耐火性に優れ、用途としては古代から近世にかけて古墳の石室や大名家の墓所、寺社仏閣の基礎や階段・灯篭門柱、白河小峰城の石垣に用いられる。近代には石積み住宅基礎、玉垣、石蔵や鉄道・造成工事に使用され、現代では住宅の門柱・塀、建築・土木・造園工事などに利用。那須町芦野及び白河市周辺では古代~現代までに作られたお地蔵様や、石蔵のような建造物や石垣が残り、地域特有の景観を構築する一端を担っている。
1982年には採掘量が約5万7千tを記録。この頃が芦野石の最盛期で、石材業者も20件近くあった。しかしその後、韓国や中国から輸入する石材に押され需要が減り、1997年には組合を解散するまでに追い込まれる。その後石材業者の数は減ったが、石材を焼成する手法や、現代の工法に合わせた加工や異素材との組み合わせ、花崗岩とは違う温かみのある表情を活かした使い方などの活動も始まり、今に至る。
STONE PLAZAプロジェクトの始まり
・栃木県内でも有数の石の産地である那須町芦野地区には、大正~昭和初期に建てられた石蔵が残っていたが、1970年代以降は放置されたままになっていた。景観や街づくりの為に、この古い蔵と芦野石を活かして新たな石の産地の象徴をつくることを考え1990年頃より、㈱白井石材の企画としてストーンプラザプロジェクトがスタート。
1994年に建築家・隈研吾氏に石蔵を保存・活用する基本計画を依頼、建築と文化の接点になる施設、石材の可能性を広げる美術館をつくることを決める。既存の石蔵を使いながら、敷地全体を1つのアートを鑑賞する散歩道として再構成することを考える。あえて既存の蔵と同じ、地元の芦野石を使いながら、石がもっていた従来のイメージとまったく異なる、軽やかで曖昧な空間をつくることを目指し、計画は進められた。
建物は、具体的な計画から完成までに約6年。美術館の竣工後、芦野の人たちのなかに、街をもっときれいにしていこうといった動きや、芦野の風景を大切にして地域を活性化させていこうという意識が活発になってきているそう。
石の美術館STONE PLAZAの誕生
・2001年1月21日に美術館として開館。石造りの古い蔵を、建てられていたそのままの場所で手を加えて使用できるようにしたのが、エントランスホール、石蔵ギャラリー、茶室である。構造面では、石壁の内側に木の柱組を加えることで対応し、地元である那須町・伊王野地域の木材を使用。石と水のギャラリーは、石壁にいくつものブロック穴をつくり、外部と内部を光で繋いでいる。そして、外気と内気が行ったり来たりする不思議な空間が出来上がる。
外部は、敷地内に水を張った池の上を石橋で各建物をつなぎ、世界で初めて造られたであろう石のルーバーで空間を仕切った。外部を含めた総石づくりの建築そのものが展示物。
国際石材建築大賞(International Stone Architecture Award 2001 (イタリア)
2001年9月、イタリアヴェローナにて受賞。この世界的に権威ある賞は、石材産地で有名なイタリアのヴェローナで隔年に授与されるもので、大理石や天然石を用いて建設された優れた石材建築作品に贈られる。
日本人建築家の受賞は、磯崎新氏についで隈研吾氏が二人目。また、日本の石材建築作品としては石の美術館STONE PLAZAが初の受賞。その後、2年間に渡って受賞建築の作品が世界各国の有名大学、文化・建築施設に巡回展示され、天然石材を使った建築の啓蒙に活用。
平成13年度マロニエ建築賞 (街並み景観建築部門)
・栃木県が県内の優れた建築物に贈るマロニエ建築賞の平成13年度最優秀賞(街並み景観建築部門)受賞。
「旧いものに新たな生命をふきこんでいる」「景観は芦野の新たな魅力となるであろうし、この建物を起爆剤とする景観形成に波及することが期待される」との理由から。
石の美術館における展示・イベント
・石の美術館で最もスペースが広いのが石蔵ギャラリーとの事。このギャラリーで、年に数回行われるコンサートでは常連客も多数で人気があり毎回満員となっているそうです。石蔵の音響は出演者にも好評で、新たな文化活動の場として使われています。春には、石蔵づくりの珍しい茶室で桜を眺めながらお茶を楽しむイベントもあり、今までと違った形で地元の方々との交流も広がっているとの事。
最後に真面目な動画(笑)も載せておきます。石好き、石好きでない方問わず皆さんもぜひご来館下さい!
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