歴史を結ぶアートの架け橋ーベネッセアートサイト直島(地中美術館、豊島美術館) 後編

アートな場所

こんにちは、マウスです。
日本海側を中心に雪が続いていますね。
私は九州出身なので、子どもの時は例にもれず雪への憧れがあったのですが、雪国の知人に話を聞くと雪はただただ「雪かき」という労力の大小を図るパラメーターとしての役割しか感じないそうです。(世知辛い…)
ただ、雪かきをしていると普段は話をしてこないご近所さんとこの時ばかりは色々と話をする機会があるそうで、こういう寒い地域ならではの地域のコミュニケーションツールがあるのは、九州出身者としては少し羨ましくも思えます。

私もたまにコインランドリーで衣服を乾燥しているとふと立ち話をすることがありますが、そのような家事を通じたコミュニケーションの効果というのを推し量る指標はありませんが、重要な文化になっている地域もあるかもしれませんね。
※個人的にはこの衣服の汚れをH2Oで流し落とし、再度そのインプットしすぎたH2Oを膨大な電力を使って乾燥機で乾かすという日々発生する作業がなくなれば、人類がどれだけ幸せになるのだろうかとランドリーの大型乾燥機を見ながらいつもぼんやりと考えています。

まあ、このような水の営み、水の働きがあるおかげで農作物や工業製品などの恵みを受けられるという作用もあるので一概に水を悪者扱いするつもりはありませんが、汚れを落とすという作用においてはもう少し節水ができるといいですよね。

↓本編と全く関係ないですが、そんな問題意識でブログ書いている人もいるようです。
(参考)洗濯の節水|たった2つ実践するだけで12,107円節約できる方法
http://ienokoto.top/wp01/sessui-washing

なんでアートのブログで節水を書いてるんだという気になってきましたが、雨や水、そしてそれが流れ出る海を中心にした島しょエリアでのアート活動(直島、豊島)を書くためのさわりだったんですね。脱線しまくっているので本線に戻ります。

これまで直島、豊島、そしてその両島を含む島しょエリアで活動を展開してきたベネッセなどの歴史について触れてきました。最後の後編では、このベネッセアートサイト直島の中でも直島・豊島にある2つの主要な美術館、アート作品についてご紹介し、本編の終了としたいと思います。

まずはこの写真を、じっくりと、深呼吸しながら眺めてみて下さい。(以下、写真は全てベネッセアートサイト直島HPより転載)

…どこか懐かしい景色の中に、よく見ると草間彌生さんのカボチャが浮かぶ斬新さが見えていますね。
直島にフェリーで向かうとまずこの景色が目に飛び込んできます。
地方のどこにでもあるような景色の中に当然のように溶け込んでいるカボチャが1つ。(注:21年8月に台風の影響で海に流されているようです。現在再設置を検討しているとの事)

前回1/1のブログの中で、福武財団の設立趣旨を記載しましたが、「瀬戸内海において、自然の素晴らしさを感じ、その中で自らの命を感じ、自然に対して人間が働きかけることで、いかに真なるもの、美しいものを引き出すか」という理念を端的に表した風景だと感じます。

そしてそんな直島にある地中美術館。

地中美術館は、瀬戸内の美しい景観を損なわないよう建物の大半が地下に埋設され、館内には、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアという3人のアーティスト作品が安藤忠雄設計の建物に恒久設置されています。

〇クロード・モネ

〇ウォルター・デ・マリア

〇ジェームズ・タレル

ぜひ現地に行って体感してもらいたく、ひとつひとつの作品解説は割愛しますが、全てに共通した特徴として言えるのは、作品が館内にありながらも全て「自然光」を使った展示となっており、その場でしか体感することができないアート作品(現代美術用語でサイト・スペシフィックと呼ばれるもの)であることです。

この美術館、3人のアーティスト作品を恒久展示…と今ではさらっと紹介されることが多くなりましたが、恐らく古今東西、1人の(厳密には3人ですが)作品を恒久的にその場所を一切移動させずに展示するということを明確に発信している美術館は日本広しと言えどもここだけではないでしょうか。
※多くの美術館は、館やアート収集家のコレクション展示やそうでなくともアーティスト・イン・レジデンス(アーティストが滞在エリアで作品を創作すること)など通じて定期的に作品を入れ替えて発表することが主目的だと思いますので、地中美術館は相当に特色ある内容だと言えると思います。それほどまでにモネ、デ・マリア、タレルの3人はこの島しょエリアを語るうえで切っても切れない存在なのです。

「自然光」で鑑賞すると述べましたが、この3人の作品は当然ながら晴天、雨天、曇り、春夏秋冬、微妙な島の天候の変化で色合いや見せてくれる表情が異なります。同じ作品を飾ってあるとはいえ、そこに行くたびに前回見た景色とは異なる表情を見せてくれる、これはまさに自然の情景そのままではないでしょうか。

再度地中美術館の設立趣旨の繰り返しになりますが、まずはフェリーに乗って直島含めた島しょエリアの自然の素晴らしさを感じていただき、その中で自らの命を感じたところで、その自然に対しこのアートという人間の営みを通じて働きかけることで、本当に真なるもの、美しいものを感じ取ることができるというまさに理にかなった美術館となっているのです。

そして、豊島美術館。

豊島美術館は、アーティスト・内藤礼と建築家・西沢立衛によるコラボレーションで建てられました。
全体として水滴のような形をした建物で空間には柱が1本もないコンクリート・シェル構造です。
天井にある2箇所の開口部から、周囲の風、音、光を内部に直接取り込んでおり、内部空間では、小さな水滴が地面の僅かな隙間から流れ落ちていきます。

私は、この豊島美術館にはじめて行ったときの感動(というか世界が一瞬止まったような感覚)をいまだに覚えています。
地中美術館の後に訪れたのですが、地中美術館では3人のアーティストの作品にただただ圧倒されるばかりであったのに対し、この豊島美術館は全体として柔らかい自然光の布に包まれるような、まるで赤ちゃんに戻ったかのような優しい柔和な感じでした。そこには過去に産廃による環境問題が発生したエリアとは思えないような暖かな空間でした。

ところどころ内部で発生する小さな水滴の流れる行き先を追ううちに、おのずと人間は自然と調和しながら生きていく存在なのだと認識させられます。豊島で体感した感覚は2022年の現在になってもいまだに不思議な感覚として残っています。

このブログを前編から拝読いただいている読者の方ならば、なぜ福武財団が主要拠点である直島に加え、この豊島を次なる拠点に定めているのか大よそ見当がついているのではないかと思います。

私もこれは後になって気づいたのですが、地中美術館がその大半を地下に埋め込み、地下空間における3人の世界的なアート作品を楽しむという、三菱鉱山の歴史を汲む少しトレジャーハント的な要素を出しているのに対し、豊島美術館はそもそもその空間の中に一切のアート作品はなく、その建物自身が1つの生命体のように自然の中に共存しているのです。
その姿はまさに、豊島の人々が過去に自然との共存を選んだ道そのものだと言えるでしょう。

その2つの偉大な美術館とベネッセ及び地域の人々の多くの尽力によって、過去の歴史を超え、互いが架け橋のように自然との共生の中で結び付けられる場所、それこそがベネッセアートサイト直島なのではないかと私は考えています。

最後に、この直島・豊島を中心とした島しょエリアでのアートを現在統括している福武總一郎氏のコメントを(少し長いですが)一言一句読んでいただきたく、これを掲載して終わりたいと思います。

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〇東京から瀬戸内へ
かつて私は、若いころは主に東京で生活をしていましたが、40歳になったときに父が急逝したため、本社のある岡山へ帰る事になり、父が進めていた直島での子どもたちのキャンプ場作りのために何度も直島を訪れるようになりました。
そのプロジェクトに関わりながら、島の人々との交流を深め、また趣味のクルーズで瀬戸内の島々を回っていくうちに、瀬戸内海の美しさ素晴らしさと同時に、歴史や文化、島々に暮らす人々のあり方を再認識するようになりました。

瀬戸内の島々の多くは、今日では離島とか過疎の島といわれていますが、近代化の波に洗われていない、かつて日本人が本来持っていた心のあり方や暮らし方、地域の原風景が残っていました。それらは民家のたたずまいであり、人々の慣習であり、近所付き合いであり、自然の恵みを直接いただくという、ある面では自給自足的な生活でもありました。
また、瀬戸内海の島々は、日本で最初の国立公園に認定されながら、日本の近代化や戦後の高度成長を支え、かつその負の遺産を背負わされた場所でもあります。直島や犬島には亜硫酸ガスを出す製錬所が建てられ、豊島は産業廃棄物の不法投棄が行われ、島々の自然と島民は痛めつけられました。また、大島はハンセン病の人々を収容する療養施設として、長い間、社会とは隔離され続けたのです。

〇在るものを活かし、無いものを創る
このように、私は瀬戸内の島々と深くかかわりながら、東京での生活や社会のあり方を比較すると、これまでの自分の考え方が180度、転換して行くのを感じるようになりました。つまり、「近代化」とは「都市化」と同義語であり、東京に代表される大都会は、人間が自然との営みから離れ、人間の欲望だけが固まった、化け物のような場所ではないか、ということです。そこは、絶え間ない、刺激と興奮、緊張と享楽にあふれており、かつ人々をそれらの競争の渦のなかに巻き込んでいく社会であります。今、都会においては、無差別殺人や育児放棄を見るまでも無く、隣人には全く無関心であり、心豊かな居場所であるとはとてもいえません。子どもたちは、豊かな自然と触れ合う遊び場もなく、小さい時から経済中心の競争世界のなかに放り込まれ、洗脳されています。

そうした状況を、人々は決してよい社会であるとは感じてはいませんが、その蟻地獄のような大都会から脱出する事は大変な勇気を必要とします。また、今日においても、多くの地方の若者たちは、こうした都市の魔力に吸い寄せられていきます。そしてここ瀬戸内海においても、若者は都会を目指し、多くの島には高齢者だけが残り過疎化がさらに進む事態が続いています。私は、この様な大都会の現状と、瀬戸内の人々の暮らし方を見ているうちに、近代化のベースとなっている考えかたである、「破壊と創造」の文明、つまり「在るものを壊し、新しいものを作り続け、肥大化していく文明」のあり方に深い疑念を覚えたのです。そうした、「破壊と創造を繰り返す文明」から、「在るものを活かし、無いものを創っていく」という、「持続し成長していく文明」に転換して行かなければいけない。そうでなければ、文化の継承と発展は出来ないし、我々の作ったものも、いずれ後世に抹殺されてしまうだろうと考えました。

〇人はいい地域に住むことで幸せになれる
このような現代社会における、大都市の抱える問題と、瀬戸内のような地域の現状との矛盾を考えるなかで、瀬戸内の島々の様な、近代化に汚染されていない日本の原風景が残る場所に、現代社会を批判するメッセージ性を持った、魅力的な現代美術を置いたら、地域が変わっていくのではないかという思いを強く抱くようになり、それを実践してきました。そうしたところ、現代美術を見るために、直島に多くの若い人たちが訪ねて来るようになり、都会では得られない地域の良さを発見したりします。また、彼らとの交流により土地の人々、特に地域のお年寄りが、どんどん元気になっていく様子を見て、私自身も驚き、うれしくなるとともに、なぜ都会に住む人々は、心から幸せでないのだろうかということも、考えるようになりました。

都会では、人々が「自己実現」と称して、他人よりも多くの幸せを得ようと努力していますが、それでは本当の幸せをつかむことができません。なぜなら、「人間は、幸せなコミュニティのなかに居なければ、ほんとうに幸せにはなれない存在である」からです。自己の幸福だけを追求し、そのことを競争する都会の人々は、一方では絶えず欲求不満と不安を覚えることになります。

有名なアメリカの心理学者であるマズローの説によると、人間の欲求には5段階があり、その最上位にあるのが自己実現の欲求だといいます。アメリカの近代化は、おそらく自己実現の追求に駆り立てられるようにして、個人の幸福を最大化する社会づくりをめざして進んだのでしょう。しかし、そのような追求は、「キャッシュ・イズ・キング(現金は王なり)」という考え方や「自由競争」の原理が支配する金融資本主義を採用することにより、結果として格差の蔓延する社会を生み出しました。しかし今では、マズローがほんとうに言いたかったのは、人間の欲求には5段階ではなく、実は「自己超越」を最上位とする6段階があるということだと考える人々もいます。自己超越的な個人というのは、純粋に個人的な自己のあり方を超え、しばしば他者への奉仕に携わる人のことです。幸せなコミュニティとはどこにあるのでしょうか。現在も、世界の多くの人々は、そうしたユートピアは現世にあるのではなく、天国や極楽にあり、死んでから行けるものだと信じているようです。果たしてそうでしょうか? 来世の天国が良かったと帰って来た人は一人もいないのです。

〇お年寄りの笑顔があふれる直島
私は、直島のお年寄りたちが、現代美術に馴染み、島を訪れる若い人々と笑顔で接してドンドン元気になっているのを見て、幸せなコミュニティとは「人生の達人であるお年寄りの笑顔があふれているところ」と定義することができました。どんな人生であったとしても、お年寄りは人生の達人であり、彼らは「年をとればとるほど幸せである」べきです。

人生の達人が、足腰が弱くなっても、多少記憶力が落ちても、笑顔があふれているということは、不安で将来の見えない現在の若い人にとって、笑顔のある将来の自分たちの居場所がある、ということになります。人間には、お母さんが笑えば赤ちゃんも笑うという「母子相互作用」といわれる本来的な現象がありますが、同じように、お年寄りの笑顔は若者を笑顔にします。

そうした理由で、今や直島は世界で一番幸せなコミュニティであり、海外からも多くの人々が訪れるようにもなりました。島を訪れた方々は、ぜひ島の人たちに会って貰いたい。そして、私は、直島における、この世の極楽のコミュニティの経験を、さらに直島以外の瀬戸内の島々にも広げ、それも直島と同じものではなく、それぞれの島の文化や個性を生かした形で、島の人々やボランティアの皆さんと一緒に作ろうと思いました。

そして、その事が出来るメディアは、良質の現代美術を除いてまだ私は知りません。現代美術は、人々を覚醒させ、地域も変える偉大な力を持っていると信じています。私もお手伝いさせていただいている「越後妻有トリエンナーレ」(大地の芸術祭)の総合ディレクターである北川フラムさんの協力も得て、この「瀬戸内国際芸術祭」のプロジェクトが始まりました。

〇瀬戸内海から新しい文明観を発信
「近代化とは都市化」の時代であると述べ、今の大都市のありかたを大いに批判しましたが、私は近代化や都市化を全く否定するつもりはありません。「都市」というのは人間にとっては、人々の気分を自由にし、魅力ある空間であることも事実です。日本にも、東京のマネではなく、もっとそれぞれの地域の歴史と文化を生かした都市が生まれることを期待しています。

現代社会に対するメッセージを持った現代美術を媒介にして、そうした都市と、自然あふれ個性ある島々をつなぐ事によって、都会と田舎、そしてお年寄りと若者、男と女、そこに「住む人々」と「訪れる人々」とが互いに交流し、お互いのよさを発見し、認め合うことができます。

そのことが都市に住む人々にとってもいい影響をあたえ、過疎といわれる地域も蘇り、それぞれの地域の持つ多様で豊かな文化を活かしていく「バランスのとれた価値観の社会」が出来る事を期待しています。そして「在るものを活かし、無いものを創っていく」という21世紀の新しい文明観を、ここ瀬戸内海から、世界に発信していきたいと思います。

〇公益資本主義を目指す
私は慈善活動家でも評論家でもありません。地方の一事業家です。そして富の創造は、殆どが企業活動によってなされる事を知っています。わが社(ベネッセホールディングス)が目指していることは、現在、世界経済を崩壊に陥れている「金融資本主義」とは対極にあります。

それはお金だけが経済活動の目的ではないということであり、そのことを私はよく「経済は文化の僕である」と言っています。人々を心豊かにするのは経済活動だけでは出来ません。経済の繁栄だけを目的化すると、かえって人々は不幸になると思います。文化、すなわち「人々が幸せになれる、いいコミュニティづくり(お年寄りの笑顔があふれる社会づくり)」のために経済はあるのだと私は思います。現在私は、その具体的な実現のために「公益資本主義」という新しい経営の概念を提唱しています。それは、企業が、文化や地域振興を明確な目的とする財団を創設し、その財団がその株式会社の大株主になり、そこで得られた配当を資金として、社会に貢献できる仕組みをつくることです。この「公益資本主義」の考えと実践、成果を、世界へ伝えていきたいと思っています。アートによる地域の再生とこの世のユートピア創造、そしてそれを可能にする新しい公益資本主義の考え方。こうした文化と企業の新しいあり方、考えを世界へ広げていくのが「瀬戸内国際芸術祭」の持つひとつの意味だと私は思っています。
※ベネッセアートサイト直島HPより転載 https://benesse-artsite.jp/about/soichiro-fukutake.html
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「人間は、幸せなコミュニティのなかに居なければ、ほんとうに幸せにはなれない存在である」
…身につまされる言葉ですね。
ここでも本ブログの主要テーマである、アートに携える形で(お年寄りの)笑顔が存在することの価値、効用について述べられています。

前編、中編、後編と今回少し長くなりましたが、岡山・香川の両県に行く機会があれば、ぜひこの2つの美術館をセットで見てもらえればと思います。
実は本編終了をもって、10/24のブログで予告したアート記事のうちパレ・ド・トーキョーを除き全て終了になるのですが、まだまだ書きたいことも山ほどありますので、時期を見ながらまた少しずつ皆さんと共有できればと考えております。(パレ・ド・トーキョーはまた後日書いてみますね)

色々と試行錯誤しながら本ブログも運営しておりますので、また拙いながらも引き続きよろしくお願い致します。

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