「石の島」に建てられた企画展専門のギャラリー、日常の景色や作品の向こうに広がる美しい自然を感じるため 岡山:犬島「家プロジェクト」

岡山県

こんにちは。本ブログでも以前ベネッセが運営する「直島」のことは書きました。(実は地中美術館や豊島美術館など有名な展示館のほとんどが香川県に位置します…香川県は展示施設が多いためまたあらためて後日書く予定です、再度直島も含め)

そんなベネッセがお膝元の岡山県で展開する現代アートスポットが「犬島」です。どんな島なのかも含めて早速ご紹介していきましょう。

このブログで紹介する美術館(アートプロジェクト)

犬島「家プロジェクト」

・開館:2010年年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県観光協会より転載)

→現代の芸術家が古民家そのものを作品化(インスタレーション)した7つの建築からなるプロジェクトです。
・場所
犬島「家プロジェクト」 – Google マップ

「石の島」に建てられた企画展専門のギャラリー、日常の景色や作品の向こうに広がる美しい自然を感じるため

・犬島の集落に「日常の中の美しい風景や作品の向こうに広がる身近な自然を感じられるように」とのコンセプトのもと、企画展示を目的としたギャラリーを開館。アーティスティックディレクターに長谷川祐子氏(現:金沢21世紀美術館館長)、建築家に妹島和世氏を迎え、「F邸」「S邸」「I邸」「A邸」「C邸」という犬島に古くから立地する古民家を作品化した5つのギャラリーと「石職人の家跡」に、さまざまなアーティストの作品を展示公開。ギャラリーはかつて建っていた民家の瓦屋根や古材、透明なアクリル、周囲の風景を映し出すアルミなど多様な素材でつくられており、島の風景を見ながら点在する作品を巡る「桃源郷」の体験をテーマとする一連の物語を紡ぎだしています。

ギャラリー構成

F邸

・動物や植物を想起させる様々な形のオブジェや多様な物質の表面からなる彫刻など、複数の作品を邸宅と坪庭を含む建物全体の空間にダイナミックに展示。犬島という場を背景に、新しい生のかたちを表現しています。

名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」

S邸

・透明アクリルの壁が連なる作品。大きさや焦点が異なる無数の円形レンズを通して周りの景色の形や大きさが歪んで映し出され、見る人に目に見える世界の多様性を促しています。

荒神明香 「コンタクトレンズ」

I邸

・向かい合う3つの鏡を配置した作品。2方向に開かれた窓からの風景を結びつけており、作品中央のある一点において鑑賞者は無限のトンネルのただ中にいる自分を見つけるように制作されています。タイムトンネルのような同心円の中に立つ鑑賞者は、無限の空間とつながるスポットにより、新しい感覚の旅に誘われます。

オラファー・エリアソン 「Self-loop」

A邸

・「周囲のコミュニティや自然が融合された彫刻」という印象を基点に、犬島の自然のなかに見られる幾何形体や人びとの暮らしの生命感をエネルギーあふれる色を用いて仮想風景として表現。新たなリズムを生み出すとともに、見る人の想像力を掻き立てます。

ベアトリス・ミリャーゼス 「Yellow Flower Dream」

C邸

・かつての集会所にひっそりと置かれた大きな木彫。まるで神聖な場に奉納された切り花のように静かなエネルギーを内包し、犬島に生きる人々から発せられるエネルギーにインスピレーションを得た作品は、島の「生」とともに呼吸し続けます。

半田真規 「無題(C邸の花)」

石職人の家跡

・素材や場所そのものに蓄積された記憶に反応するように、描かれた動植物などの生命力あふれるモチーフが犬島の土地に根差し、さらに敷地を飛び出して集落内の路地にも展開されています。

淺井裕介 「太古の声を聴くように、昨日の声を聴く」

犬島とは

・岡山市唯一の有人島。切り出された犬島石(花崗岩)が遠く仙台の東照宮や、鎌倉の鶴岡八幡宮の鳥居、江戸城や大阪城の石垣に使われ、明治以降は大阪港礎石の切り出し場になるなど全国各地へ運ばれていったことから石の島として知られる。

1909(明治42)年に犬島製錬所が創業、最盛期には島の人口は約5000人にのぼったが、銅の価格大暴落により製錬所は10年で閉鎖。1935(昭和10)年には犬ノ島に日本硫黄の工場が建てられ、福島県から多くの従業員が移住したが1967(昭和42)年に閉鎖。翌年、跡地に曽田香料の工場が建ち、従業員を引き継ぎ雇用することに。

その後、現在までに人口は約40人程となったが、当該製錬所跡地を2008(平成20)年に犬島アートプロジェクト「精錬所」(現「犬島精錬所美術館」※明日ブログ発信予定)としてリニューアル。2010年からは瀬戸内国際芸術祭の舞台となり、日本はもとより海外からも多くの人々が訪れる現代アートの島として定着しつつある。

犬島年表

1469年、天満宮が建立。
1620年、池田忠雄が大阪城の改修に際し、犬島の石を献上。横河次太夫が縦4間横8間の巨石を犬島から海上を輸送し、苦難の末大阪城へ据える。
1640年、在番構所を設置。
1667年、池田光政が津田永忠に命じ吉永町和意谷に池田家墓所を造営し墓石や玉垣に犬島の石を使用する。
1687年、池田綱政が後楽園の造営に着手。犬島から周囲23メートルの巨石を92個に割り海上を運び花葉の池畔に据える。また、慈眼堂東側の烏帽子岩(周囲17メートル)も36に割り犬島から運ばれ据え付けられる。
1690年、池田藩の犬島検地令により釜島郡犬島と命名。玉野市番田から紋太郎家(井上家の祖)、岡山市東片岡から善太郎家(佐藤家の祖)の2家が犬島に移り住み農耕に従事。
1694年、任地が下附され久々井村犬島と改名。検地帳に山野50町、田畑14町5反、人口30人と記述。
1695年、池田綱政が津田永忠に命じ牛窓一文字の波止の造営を始め犬島の石が使用(長さ678メートル、高さ2.7メートル)
1717年、犬島在番所を設置。
1822年、田畑4町3反9畝13歩、高8石余、物成2石2斗9合18戸80人となる。
1862年、久々井村から分村して釜島郡犬島村となる(22戸110人)。
1872年、東谷の千代松宅に犬島学舎開設。
1875年、久々井村へ復帰。
1882年、再び犬島村として分離。
1889年、東片岡、西片岡、久々井、犬島村が合併し朝日村犬島となる。
1897年、大阪港造営のため石の切り出しが始まる。
1899年、採石のため天満宮を移転。築港の採石で賑わう「築港千軒」人口5~6千人となる。
1901年、朝日尋常小学校犬島分教場として創立される。
1902年、犬島の山本八蔵らが牛窓-犬島-岡山間の運航を開始。
1905年、大阪築港に伴う採石は急速に下火となる。
1909年、坂本合資会社犬島精錬所が東海岸で銅の精錬を始める。創業者:岡山の坂本金弥氏。
1913年、犬島港護岸の築堤のため本島、鳩島の連絡工事着手。「カナメ」(銅の精錬の際できる残滓)を埋め立てる。
1915年、私立犬島実務学校が春山淀右衛門により開設。
1918年、犬島小学校が朝日小学校から独立。牛窓の碇芳蔵が千当丸(10トン20人乗り)を運航開始。(牛窓-鹿忍-宝伝-犬島-久々井-小串-京橋)
1919年、犬島精錬所閉鎖、240戸1200人となる。
1927年、犬島港の整備で鳩島から東へ28メートル西へ35メートルの築堤が完成し現在の港の原型ができる。
1929年、本土から電気の送電が始まる。
1934年、犬ノ島に日本硫黄株式会社岡山工場の建設に着手。
1935年、日本硫黄株式会社岡山工場が操業。二硫化炭素年産8500トン、会社の操業に伴い福島県から犬島へ従業員が移住。280戸1500人となる。
1936年、初めて犬島に電話が架設される(12台)
1943年、犬島幼稚園が開園。
1945年、241戸982人となる。
1947年、小豆島からオリーブを取り寄せ栽培を始める。栽培戸数20戸1300本。山南中学校犬島分校として開校する(1学級32人)。
1951年、242戸1350人となる。
1955年、西大寺市へ合併。220戸843人となる。幼稚園生34人、小学生160人、中学生80人。
1960年、国勢調査にて216戸820人と判明。
1964年、日本硫黄株式会社が日本硫黄観光鉄道岡山化学工場に改称。白石島に灯台が完成し点灯を始める。
1965年、189戸629人となる。
1967年、日本硫黄観光鉄道が磐梯急行電鉄株式会社岡山工場に改称。犬島が離島振興法の指定を受ける。磐梯急行電鉄株式会社岡山工場が整理、全員解雇。
1968年、曽田香料株式会社岡山工場として発足し着臭剤の製造を始める。
1969年、岡山市へ合併。190戸750人となる。
1975年、簡易水道の敷設が完成。国勢調査133戸353人と判明。
1978年、電話が自動ダイヤル化される。
1982年、コミニティハウスが完成。
1983年、篠田正浩監督による瀬戸内少年野球団のロケが行われる。
1984年、根木俊三先生の顕彰歌碑を建立。93戸224人となる。石原プロダクションによる「西部警察」のロケが行われる。
1985年、犬島診療所が完成 医師:宇治氏が診療に来島。岡山化学工業株式会社が設立。NHKのドラマ「匂いガラス」(唐十郎作)のロケが行われる。
1987年、浄化センターが完成。
1988年、小学生2学級5人 中学生2学級8人となる。
1989年、犬島港の桟橋を改修。
1991年、海水浴場養浜事業開始。70戸130人となる。犬島学園が閉園し、中学校跡地へ「犬島学園記念碑」を建立。
1994年、消防機庫が完成。山林火災が2件発生する。
1995年、犬島港の西側護岸の整備が始まる。
1996年、59世帯115人となる。岡山城築城400年記念「岡山城ストンヒストリー」が有限会社東田石材の事業場で開催。
1997年、ストンヒストリー後半編が開催。芸術系大学生による石像の製作が始まる。(倉敷芸術科学大 大阪芸術大、京都市立芸術大、京都精華大、名古屋芸術大、愛知県立芸術大)。今村昌平監督によるカンゾー先生のロケが行われる。
1998年、10月17日の台風10号により県北部から流木等により犬島港内が封鎖。
1999年、犬島学園跡地に市立犬島自然の家(愛称わくわく体験犬島)と海水浴場の隣接地へキャンプ場が完成。
2001年、49世帯79人となる。
2002年、犬島アーツフェスティバルが開催。維新派による新作野外劇「カンカラ」が公演。45世帯70人となる。
2003年、富樫森監督による「鉄人28号」(平成16年秋劇場公開)のロケが行われる。
2005年、44世帯72人となる。
2008年、財団法人直島福武美術館財団が精錬所跡を、犬島アートプロジェクト「精錬所」として運営。(今に至る)

→いかがでしょう。こう見ると福武美術館財団が犬島を手がけたのは歴史のほんと最終盤で、それまで犬島は多くの産業や人口動静の歴史があったことがうかがわれますね。このあたりの瀬戸内の島々は現在ベネッセがアートサイトと力を入れられている場所ではありますが、案外犬島まで観に行ったことある人は少ないかもしれません。直島、豊島などとはまた違った魅力がありますので、このエリアの観光を考えらえれている方はぜひ「石の島 犬島」を候補に入れてみてください。きっと日常の中にある美しい自然を見つけることができると思います。

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