こんにちは。愛媛県松山市、道後温泉や夏目漱石の「坊ちゃん」、司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」などで有名です。今日ご紹介する美術館、そんな数多ある有数の観光スポットの中の1つ松山城下に位置しています。松山市のみならず愛媛県全体の文化拠点として半世紀その役割を担っている館、早速ご紹介です。
このブログで紹介する美術館
愛媛県美術館
・開館:1998年 ※1970年開館の「愛媛県立美術館」が前身です。理由はわかりませんが、「立」を外す館が増えてきていますね。
・美術館内・外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会より転載)
・場所
愛媛県美術館 – Google マップ
みる・つくる・まなぶ、皆が参加し創造する空間をめざして
・来館者の皆様に美術作品を鑑賞すること(みる)、作品を創ること(つくる)、そしてそれらを通して自ら学ぶこと(まなぶ)を楽しめる参加創造型の美術館をめざし、国指定史跡の松山城跡内に1998年に開館。
コレクションは、前身である愛媛県立美術館(1970年開館)から始まり、主に郷土作家の作品を収集。1998年に愛媛県美術館として再出発するのを機に、コレクションの中核となるモネ、セザンヌ等の海外作家の作品や、近代日本を代表する安田靫彦、中村彝等の作品を収集。これらに郷土出身作家である杉浦非水、柳瀬正夢、野間仁根、真鍋博、畦地梅太郎等のコレクションも加わり、約12,000点を収蔵。コレクションは「所蔵品による特集展示」として年に5~6回の展示替えを実施されています。
また、国内でも数少ない、利用者各自のペースで自由に創作活動のできる「県民アトリエ」では、版画全般、木工、染織、写真、粘土等の制作を中心とした創作活動を展開。
主なコレクション
・愛媛県美術館のコレクション、面白いのが画像ではなく、A4のペーパーに絵と学芸員の方の説明書きを添えられており、印刷可能で持ち歩きできるように工夫されています。本ブログでも各々掲載しておきたいと思います。
柳瀬正夢
・福岡県門司市(現・北九州市)で少年期を過ごし、15歳で第2回再興院展に入選、10 代の頃から門司で個展を開催、北九州の美術運動にも加わるなど活動を行う。のち活動の拠点を東京に移して、読売新聞社に入社、ジャーナリズムの仕事を手がけたほか、大正期新興美術運動やプロレタリア美術運動に加わり、漫画やグラフィックデザインなども手がける。1932(昭和 7)年、治安維持法違反容疑で逮捕、出所した後は再び油絵を描き、全国各地を訪れその風景や人物をモティーフにした作品を次々に制作するも、1945(昭和 20)年 5 月に空襲に遭い死去。
〇柳瀬正夢_概要
野間仁根
・東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科で学び、1924(大正 13)年二科展に初入選後、1929年(昭和4)年、第 16 回展で《ぜ・ふうるむうん》が二科賞を受賞。1955(昭和 30)年に退会するまで、長らく二科会を活動の舞台とする。二科会退会後は一陽会を結成し、戦後は個展を中心に活動。フォーヴィスムやシュルレアリスムの影響が濃厚な二科会時代の幻想的な作風から、戦後は童心あふれる伸びやかで奔放な作風へ。「蚕が絹糸を吐くように自然に生まれるのが本物の絵だ」と述べるように、生涯一貫して自由で屈託のない世界観を追及した。
野間仁根_概要
杉浦非水
・日本におけるモダンデザインの先駆者。はじめは日本画を学んでいましたが、東京美術学校(現・東京藝術大学)在学中に、フランス帰りの洋画家・黒田清輝がもたらしたアール・ヌーヴォー資料に魅せられ、図案家としての活動を開始。大正・昭和初期にかけて、三越呉服店(現・三越)図案部主任として同店の広告デザインを一手に担い、看板デザイナーとして活動し、「三越の非水か、非水の三越か」とまで称される。その他、東京地下鉄、カルピスなど様々な企業の広告のほか、書籍装丁、雑誌表紙、自身の図案集刊行など幅広く活躍。グラフィックデザインの原点として近代日本美術史上重要な位置を占める。
杉浦非水_概要
→覚えていらっしゃるか分かりませんが、杉浦非水、宇都宮美術館も所蔵していましたね。また、三越については日本の商業施設での展覧会の源流として三越を挙げました(君はロックを着ることができるかー「THE SAPEUR(サプール展)」前編)。愛媛の方なんですね。過去のブログ、まだ読んでいない方はぜひ目を通してみてください。
真鍋博
・イラストレーターとして活躍。SF、ミステリー小説の表紙や挿絵で未来を描く。約40 年間手がけた印刷物の原画を中心に約8900点の作品を収蔵、コレクションには、イラストレーターとなる以前の活動を示す二紀会や読売アンデパンダン展、タケミヤ画廊などで発表した油彩画や草月アートセンターで上映したアニメーションのフィルムや絵コンテを含み、真鍋氏の仕事を網羅できるコレクションを形成。
真鍋博_概要
畦地梅太郎
・画家を志し上京、通信教育によって油彩画を学ぶも、内閣印刷局活版課に就職したことを機に版画の道へ進む。戦前の創作版画運動に加わり、東京の都市風景や、郷里の愛媛の風景を題材にした版画を制作、1930(昭和 5)年には《小名木川附近》が第 11 回帝展に入選。1940(昭和 10)年前後より、「山」を生涯のテーマとし、おおらかであたたかみのある独自の画風を確立。戦後は、自身の姿を投影した「山男」をモティーフにしたシリーズや、前衛的・抽象的な木版作品も手がける。
畦地梅太郎_概要
武智光春コレクション 福田平八郎
・福田平八郎(1892-1974/大分生まれ)は、京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校、京都市立美術工芸学校で学び、在学時から文展に出品を始め、その後は帝展、戦後は日展等で活動。大正期は写実的な画風で描くも、後に写生に基づいたうえで単純化された形態と色面による構成を重視する装飾的な画風に至る。背景までもが画面を構成する色面の一部と化し、色彩豊かであるのが特徴。
コレクションは、愛媛県松山市出身の装潢師(そうこうし:文化財の保存修理を専門に行う技術者集団)である武智光春(たけちこうしゅん)氏より寄贈。
武智光春コレクション 福田平八郎_概要
寺田小太郎コレクション
・西新宿の土地所有者であった寺田氏は、東京オペラシティの建設とアートギャラリーの設置に伴い、当該所有地を提供後はコレクターとして積極的に収集活動を展開。その収集作品は4000点に上り、智内兄助(1948-/今治市出身)、有元容子(1949-/今治市出身)ら愛媛県出身の作家の作品を始め、馬越陽子(1934-)、相笠昌義(1939-)、吉岡正人(1953-)等の油彩作品や、オノサトトシノブ(1912-1986)、村井正誠(1905-1999)、舟越桂(1951-)、村上隆(1962-)、エミリオ・グレコ(1913-1995)、ジョアン・ミロ(1893-1983)の版画作品など、多岐にわたっています。
寺田小太郎コレクション_概要
分野別のコレクション
日本画・書
洋画
海外美術
版画
彫刻・立体
工芸・デザイン
写真
クスノキの美術館 情報誌Canforo(カンフォロ)
・美術館情報誌として年に2回、Canforo(カンフォロ)を発刊されています。
〇美術館情報誌canforo(カンフォロ)63号
〇美術館情報誌canforo(カンフォロ)62号
〇美術館情報誌canforo(カンフォロ)61号
なお、Canforo(カンフォロ)は、イタリア語で「くすのき」のことで、中庭にある3本の巨木にちなんで命名されたそうです。美術館が立地する堀之内公園、江戸時代から武家屋敷とした植栽をする文化があったそうで、愛媛県美術館はその三之丸の史跡を配慮し、楠の大木を生かした設計とされたそうです。そのシンボル的な楠の大木3本を有する愛媛県美術館、まさに「楠の美術館」と言えるかもしれません。(ちなみに県の木として楠が登録されているのは兵庫、佐賀、鹿児島の3県です。楠にまつわる企画展しても面白いなと勝手に思いました)
…いかがだったでしょうか。楠の美術館、愛媛県。
近頃の県立美術館同様に中期計画をきちんと立てられて運営されています。(美術館中期運営計画)
愛媛県、松山市。地理的に東京都心から足を運んだという方は比較的少ないかもしれませんが、道後温泉や他県ですが四万十川など行かれた際はぜひ松山城下に立地する県美術館にも足を運ばれてください。
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