漫画は萬画(よろずが)だ 宮城:石ノ森章太郎ふるさと記念館・石ノ森萬画館

アートな場所

こんにちは。先日のエリザベス女王の国葬、棺を8人の兵士がうやうやしく担ぎ、ゆっくりゆっくり行進されていましたね。

あれを見ながら何でもかんでも効率化が求められる現代社会において、(あそこまで非効率な人の行動を見るのが久しぶりだったのもあって)個人的にかなり斬新に映りました。ああいうのも人間の生活には意外と重要なのかもしれないなーとか思いながら中継を見ていました。

さて、今日ご紹介するアーティストは「漫画家」です。(漫画も現代社会においてはゲーム同様、勉強等にとって非効率なものの象徴に思われているかもしれませんが…日本にとっては重要な分野です)

いまや「Manga」として世界でも認知されている日本の立派な文化で、私も海外へ初めて行った際にその書店で「NARUTO」や「ドラゴンボール」が所狭しと並んでいた驚いた記憶があります。ちなみに、その歴史を軽くおさらいすると(諸説ありますが)その始まりは平安時代の絵巻物「鳥獣人物戯画」だと言われているそうです。

栂尾山高山寺HPより転載(https://kosanji.com/chojujinbutsugiga/
→1000年以上前の絵巻物ですが、これを見ても日本人はこういう線画、漫画タッチの描き方はセンスがあるのだなーと感じますね。

その後、浮世絵の流れを汲みながら、戦後早々の長谷川町子さんの名作「サザエさん」などを経て、本格的に漫画を「大人も楽しむ文化」として発展させていったのは東京都のアパート・トキワ荘に集まった若手漫画家たちでした。
※トキワ荘とは…1952年から1982年にかけて存在した木造2階建アパート。手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫ら著名な漫画家が居住していたことで知られ、漫画の「聖地」となった。

今日そんなトキワ荘出身者の中から、宮城県を代表する漫画家の記念館、早速ご紹介します。

このブログで紹介する美術館

石ノ森章太郎ふるさと記念館・石ノ森萬画館

・開館:2000年(石ノ森章太郎ふるさと記念館)、2001年(石ノ森萬画館)
・美術館外観(以下、画像は美術館HP及び県観光協会HPより転載)
<石ノ森章太郎ふるさと記念館>

<石ノ森萬画館>

→変わった形をしていますね。石ノ森章太郎原案の宇宙船をイメージして㈱日本設計さんが建設されたそう。

・場所
<石ノ森章太郎ふるさと記念館>※宮城県登米市
石ノ森章太郎ふるさと記念館 – Google マップ
→公共交通機関での利用だと少し行きづらいかもしれません。アクセス載せておきます。
https://www.city.tome.miyagi.jp/kinenkan/guide.html

<石ノ森萬画館>※宮城県石巻市
石ノ森萬画館 – Google マップ
→こちらは駅チカです。両館との距離は車で50分ほどとの事。

石ノ森章太郎とは

・1938年1月25日宮城県登米郡中田町(現・登米市)生まれ。本名:小野寺章太郎。
・1954年『二級天使』でデビュー。 1964年以降、代表作は『サイボーグ009』をはじめ『仮面ライダー』『佐武と市捕物控』など。特撮やアニメーションの世界でも活躍。 1989年、マンガの新しい可能性を追求し続け「萬画宣言」を行う。 1998年1月28日死去。享年60歳。
・2008年、角川書店刊『石ノ森章太郎萬画大全集』が「1人の著者が描いたコミックの出版作品数が世界で最も多い」として「ギネス世界記録」に認定。

漫画は萬画だ!

・石ノ森は「漫画」を「萬画」と表現。漫画はあらゆるものを表現できる無限の可能性を秘めたメディアであることから、もはや「漫画」ではなく万物を表現できる「萬画」であると提唱したそう。

→確かに、『サイボーグ009』、『仮面ライダー』、『佐武と市捕物控』って画風だけとっても全然雰囲気違いますもんね。(ググってみて下さい)

展示内容

<石ノ森章太郎ふるさと記念館>

・ここでは「展示物だけでは石ノ森章太郎の全体像の把握には不十分であり、彼をはぐくんだ環境(人々、自然、文化、歴史)も合わせて把握することが、人間・石ノ森章太郎を知るためには不可欠なもの」というのをコンセプトに展示活動をされているそう。石ノ森の漫画のバックグラウンドを深く知るための施設と言えるでしょう。

・各単行本(沢山あるので…URL載せておきます)
https://www.city.tome.miyagi.jp/kinenkan/list/
・石ノ森章太郎思い出の小道など

<石ノ森萬画館>


・宮城県登米市中田町出身の石ノ森と石巻市とのつながりは、1995年7月に当時の石巻市長との対談から始まったそう。シャッター街となった石巻の中心市街地ににぎわいをもたらし、様々な情報を発信していく事を目的として、石ノ森とゆかりのある「中瀬」にマンガミュージアムを建設する話が持ち上がり、それをもとに石ノ森萬画館を建設する構想「マンガランド構想」が誕生。 (学生時代、石ノ森は現在萬画館が建つ宮城県石巻市中瀬地域にあった映画館「岡田劇場」に自転車で3時間ほどかけて映画を見に来ていたとの事)

→岡田劇場…気になりますね。恐らく地元では有名な名画座なのでしょう。

※写真はブログ「日本すきま漫遊記」から転載(参考:https://www.sukima.com/16_hanamaki01_05/08okada.html

・サイボーグ009の世界

・仮面ライダーの世界

・原画展示コーナー

・人造人間キカイダーの世界

・HOTELの世界

・シージェッター海斗の世界

などなど。

(付録)唯一の理解者だった姉

・今でこそ石ノ森章太郎、世界的に有名な漫画家ですが、当時は長谷川町子氏や手塚治虫氏などごくごく一部を除いて漫画で食べていくなんて考えられなかった時代。そんな中、周囲の反対を押し切り漫画家を志していた石ノ森を唯一応援してくれていたのは3歳年上の姉:由恵さんだったそう。(なんかこの話聞いて、ゴッホを思い出しました。ゴッホの理解者は弟でしたが…)

…石ノ森章太郎はこのことについて後年、回顧録で以下のコメントを残しています。
ー------------
・厳格で教育委員長まで務めた父はマンガを認めなかった。ちゃんと勉強して大学に行くことを強く説いた。ときにはせっかく描いたマンガを破り捨ててしまうこともあった。そんな中でも姉の由恵だけは理解者であり続けた。大好きな姉にほめられたい一心で描いていたのかもしれない。

→お姉さんがいなければ彼は漫画家になることはなかったと言っても過言ではないかもしれませんね。

…そんなお姉さん、24歳という若さでこの世を去ります。

元々身体が強くなかった由恵さん、当時は通院の関係もあり東京にいた弟:章太郎氏とともにトキワ荘で暮らし始めていましたが、1958年同荘で喘息の発作を起こします。

章太郎氏は同じトキワ荘にいたメンバーと由恵さんを病院に搬送しますが、由恵さんの症状が落ち着いたので石ノ森章太郎さん達は映画を観に行ってしまったそう。そして映画から戻ってきた時に由恵さんが亡くなったことを知らされます。

死因は症状を抑えるために投与されたモルヒネの過剰投与だったと言われていますが、いずれにしろ傍で姉を看ずに映画を観に行ってしまった章太郎氏はその後数年にわたって自分を責め、このことを後悔し続けます。

人生で最大の理解者を失った石ノ森氏はその後、姉のことを忘れるためか一心不乱に漫画を描き続けるも心折れ、一度漫画から離れて(漫画家を辞めるためとも言われています)海外を旅することになります。その後、海外から帰国し、その旅から着想を得たサイボーグ009が彼最初の大ヒット作に繋がるというのは何とも皮肉な話です。(この成功を誰よりも姉の由恵さんに報告したかったのではないかと思います)

※これは完全に私個人の推測ですが、漫画家になることを反対していた章太郎氏のお父さん、彼も病弱な長女がわざわざトキワ荘に行くことを許したのですから最後は理解を示していたのかもしれませんね。昔の時代のお父さんですから…そんな簡単に上げた拳をおろせなかったのかもしれません。陰ながら応援してくれる人たちの存在を感じていたからこそ、石ノ森章太郎は晩年、故郷の宮城県の発展のために汗を流したのではないかと感じています。

(付録)萬画館のデザインについて

・萬画館のデザイン…不思議な形をしていますよね。(再掲)

→これ、石ノ森章太郎の原案をもとに「宇宙船」をイメージして作られています。以下、この原案を作った時の談話が残っているそうなので記しておきます。
ー------------
・模型を作ってみました。まあ、こんな形になればいいなあ、というものです。 従来の行政がつくる”箱モノ”とは違う、という意味と、遊び心を前面に出したい、という想いです。 そして、石巻は造船も盛んだったはず。マンガ惑星から宇宙”船”が降りてきた!!ってのもおもしろいストーリーなんじゃないでしょうか!? 中瀬の地図を上から見てください。ニューヨークのマンハッタンにそっくりなんですよね。 ご存じの通り、20世紀の世界経済の中心地だったところ。 さて、21世紀。きっとソフトが中心になって世界が動いていくと考えています。 で、マンガですから、マンガッタン。いかがでしょうか? まあボクたちは勝手に”マンガッタン構想”と2年前(※1995年)から行っていますケド。 先々、マンガッタン全体がミニミニテーマパーク的に楽しい場所になると、いいなあー、と考えています。
 形はこれくらいにして、肝心な中身のことですが。 私の原画を展示するだけでなく、いろんなマンガ家たちに協力してもらって、常に企画展みたいなものをやったり、各種イベントを仕掛け、進化しつづける、要するに”完成しない”施設であってほしい。 それと、こちらの方が重要なんだけど、子供達に、そして世界に”日本の文化”(マンガを指している訳じゃありません念のため)を広げていく場。 人材育成ができる場。生涯学習を考えていける場。であってほしいと思っています。 あと、欲を言えば、シルバー人材を雇用してもらったり、何か”福祉的”なことを考えてもらえると、よりベターと思っているわけです。 カンタンに言うと、子供からおじいちゃん、おばあちゃんまでワイのワイの集まれる場にしてほしい、というところでしょうか。私も将来は、田代島に暮らすつもりですので、週に一度くらいは、その仲間に入れてもらって一緒に楽しみたい、と願っています。(1997年)

→アーティストでありながらシルバー人材の雇用まで心配しているあたり…もはやこれ自体が面白いのですが、発想が隅々にまで至っている石ノ森さんらしいコメントですね。

(付録)マンガッタン

・上の石ノ森氏の談話でも出てくるマンガッタン。萬画館が建っている中瀬地区(旧北上川の中州)にあります。地形ファンの方にとってもなかなか興味深いところにあるのですよね。この島の形が、ニューヨークのマンハッタン島の地形に似ていることから石ノ森萬画館がある中瀬地域は「マンガッタン」と呼ばれているそう。 ニューヨークは20世紀の商業や金融、経済の情報発信地。21世紀はマンガ文化の情報をこのマンガッタンから発信していく事を目指しているそうです。 石ノ森萬画館では、3月に行われる感謝イベント「マンガッタン感謝祭」、5月に行われるGWのイベント「春のマンガッタン祭り」、11月3日の文化の日に行われる「マンガッタン文化祭」と毎年マンガッタンの冠が付いたたくさんの恒例行事も開催しています。

→遊び心を本当に実行に移してしまうエネルギーと行動力、こんなおじさんが近所に1人いたら街が賑やかになるだろうなーと思いました。


※石ノ森章太郎ふるさと記念館HPより

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