こんにちは。今日ご紹介する美術館、私も一度足を運んだことがありますが、東日本大震災後にできた美術館だと思っていました。もちろん震災資料もいま重要な一角を占めていますが、本来は宮城県の地域活性化対策事業の中核施設として1994年に設置されたものだそうです。
では早速。
このブログで紹介する美術館
リアス・アーク美術館
・開館:1994年
・美術館外観(以下、画像は美術館HP及び県観光協会HPより転載)
・場所
リアス・アーク美術館 – Google マップ
→気仙沼湾が眺望できる小高い丘の上に立地しています。
荒波を乗り越え地域の記憶と財産を後世に伝える
・《リアス》とは三陸沿岸部の海岸地形を表す地理用語《リアス式海岸》の《リアス》であり、つまり転じて本館が三陸海岸に存在することを意味。一方、《アーク》とは《方舟》を意味し、旧約聖書に記されている洪水伝説中に登場する《方舟》と共通するイメージを持っているとの事。荒波にも似た時代の流れ、変化の中にある圏域の文化資源を《地域の記憶=無二の財産》として調査研究、収集し、後世に伝えていくことを使命とされているそうです。
展示内容
①東日本大震災の記録と津波の災害史
②東北・北海道、当地域に所縁ある美術作品
③“食”を軸とした歴史・民俗資料館 「方舟日記(はこぶねにっき)-海と山を生きるリアスなくらし-」
主なコレクション
<東日本大震災の記憶と津波の災害史>
<歴史・民俗資料常設展示 方舟日記>
<美術作品常設展示>
リアス・アーク美術館が展示する震災資料について
・リアス・アーク美術館、実は他の三陸エリアの震災関連資料の展示館と異なり、かなり工夫して展示がなされています。その一部をいくつか抜粋してご紹介したいと思います。
(リアス・アーク美術館HPより)
・津波という現象もまた地域の文化的事象、三陸沿岸部にとっては地域文化形成上の重要な要素であると捉えてきました。~(中略)~同地域で津波災害が繰り返される背景には、その地域の歴史や文化が深くかかわっています。ゆえに当館では津波災害を単に外部要因としての自然災害と捉えず、地域内部の文化的要因によって被害規模が変化する人災的災害と認識する必要性を説いています。そのため、展示物は「津波の破壊力、火災の激しさなど、物理的な破壊力等が一見してわかるもの」、「災害によって奪われた日常を象徴する生活用品や、震災以前の日常の記憶を呼び起こすようなもの」という2種類に類別しています。
・当館では「どのように壊れたのか」よりもまず「何が壊れたのか」そして「なぜそれは壊れなければならなかったのか」ということに主眼を置いて記録、資料収集活動を行います。「主観的事実としての記憶」は未だに人々の体内に在って表現されたものはごく一部と考えています。
・当館では「東日本大震災の記録と津波の災害史」常設展示を、未だ語られていない震災の記憶を引き出すための「呼び水」と位置付けています。単に資料を見る場としてではなく、自分自身の「震災の記憶」を呼び起こし、語り合う場にして頂けることを期待しています。
・津波は形ある物を破壊しつくしましたが、人の記憶そのものまで破壊されたわけではありません。しかし、時を経てしまえば、それを再生するきっかけが失われ、記憶は薄れ、いずれは消えることになってしまいます。当館では記憶の喪失を食い止めるために、記憶再生のきっかけとなる媒体を残し被災者の目に触れる機会を提供していかなければならないと考えています。それらは文化を再生する上で重要な働きをするものであり、そういう働き、記憶媒体・記憶再生スイッチとなるものとして被災現場写真、被災物を公開しています。
・単に「破壊された物体」を見ていただくことではなく、被災物を介してそれらが使われていた震災以前の人々の暮らし、日常、さらには被災者が抱えている思いを想像していただくことが重要です。
・2011年3月11日、震災発生直後から人々は「想定外」「未曾有」という言葉を口にしました。しかし過去の津波災害を例とすれば、大津波襲来は想定されているべきでした。そして、過去に何度も繰り返している以上、未曾有という表現も適切ではありません。気仙沼市内で浸水、壊滅という被害を出した地区の多くは戦後の埋立地であり、高度経済成長期の開発とともに造られた街です。地域の津波災害史を正しく理解していれば、被害規模を縮小できた可能性は否定できません。
・当館では「反省とは未来を考えること」と捉えています。津波の発生を阻止することは不可能ですが、私たちの生き方は変えられます。津波を大災害化させないためには、人間が変わるしかない、地域文化を進化させるしかない、当館ではそのように考えています。伝えるためには「伝える意志と伝わる表現」が必要。
→重要そうなところアンダーラインしましたが殆どになってしまいました。(汗)
皆さん、震災後、三陸沿岸には過去の大津波後に建てられたと思われる多くの石碑の存在があったと報じられていたのは覚えていらっしゃいますでしょうか。石碑には過去多くの犠牲がこの地で起きたこと、また津波がどの高さまで来たかを明示してくれているものもあったそうです。(参考:「此処より下に家を建てるな」 石碑の警告守る <宮古・姉吉地区>http://memory.ever.jp/tsunami/tsunami-taio_307.html)
ただ、過去の大津波から半世紀が経ち、この先人たちが必死に残した石碑の教えが、2011年に東日本大震災が実際に発生するまで、風化してしまっていたことは否めないでしょう…リアス・アーク美術館はそのような人間の記憶や日常でそれをいかに伝え繋いでいけるかという部分に力点を置いて活動をされています。
(付録)N.E.blood 21について
・(別視点として)リアス・アーク美術館では、精力的に制作、発表を行っている東北・北海道在住若手作家を紹介しているそう。毎年複数の作家を取り上げ、美術館とアーティストとの新しい関係を模索しつつ、作家同士のネットワーク形成を念頭に置き展覧会を開催。これまで70人近い東北・北海道の作家を紹介しています。(http://rias-ark.sakura.ne.jp/2/ne/)
→美術館という文化的要素が強い館であるが故に、また他館とは違った切り口で震災を伝え、アーティストとの関係を構築しているリアス・アーク美術館。ここもまた勉強になりました。
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