西洋美術から服飾文化を紐解く:内村理奈著「名画のドレス」

アートの本

今ではなかなか海外にも行けなくなってしまいましたが、かつてイギリスとフランスに旅行したとき、現地の美術館に入ってびっくりしたことがあります。目線の高さから天井まで、隙間なく絵に埋め尽くされた壁。それだけでなく、絵に描かれているものはほとんど全て人、人、人。どれもこれも、人物の絵なのです。登場するのは、聖書の登場人物や女神の裸婦から王侯貴族、近代のブルジョア、画家の自画像など多彩ですが、どの人も肉体美を見せつけるかのように、迫真的な存在感を放っています。肌色の渦のような人ばかりの絵を見回して早くもお腹一杯になりながら、「人間の肉体が最高の美の規範である」という西洋美術の原理がその時にようやく腑落ちした気がしました。
肉体や肌の描写のみならず、彼らがまとう衣装やアクセサリーの細やかな描写にも目を惹かれました。男女問わず、皆これでもかと我が身を飾り立て、特に貴族の肖像などは、レースや薄布、宝石などに埋もれてセンスや豊かさを見せつけてくるかのようです。そして透徹した観察眼と卓越した描写力で、どの画家たちも着衣の質感や細かな意匠を実に見事に再現していました。

名画のドレス

今回ご紹介する本「名画のドレス:拡大でみる60の服飾小事典」(内村理奈著、平凡社、2021年)は、西洋服飾文化史を研究する著者が、まさにそのような絵画に描かれた衣装やアクセサリーから、ヨーロッパの服飾文化を紐解く本です。「ジュエリー」「仮面」「羽根飾り」「モード商」などなど60のキーワードで、名画の中に登場する当時の人々を魅了したファッションの様子が紹介されていきます。選ばれている絵画は、どれも衣装やアクセサリーが輝く美しい作品ばかり。図版も綺麗で部分のアップ画像もあるので、説明文と行ったり来たりしながら楽しむことができます。

内村理奈「名画のドレス: 拡大でみる60の服飾小事典」

日本の服飾文化とはあらゆる面で違っているヨーロッパのファッションの歴史は、「へぇ~」と思うことばかり。例えば、女性のドレスのデザインが時代によってどう変化していったのか。中世ヨーロッパでは、男性の帽子や羽根飾りはその持ち主の尊厳にかかわるもので、他人は触れられなかったとか、フランスでは王族以外の者が金糸や銀糸、レースを身に付けることが長らく禁止されていたとか。18世紀には生花で髪やドレスを飾ることが流行し、女性たちはかつらや服の中に水を入れた小瓶を仕込んでおいて、花の新鮮さを保っていた、とか。19世紀には造花が登場し、フランスでは皇妃ジョセフィーヌを筆頭に、貴族たちは本物そっくりの造花の開発に出費を惜しまなかったのだそうです。

レースに刺繡、髪飾りなど、それぞれの庇護者の下でじっくりと手をかけられ、美しさを磨き上げられた装飾の技術は、まるで精緻な宝石のよう。身体を美しく装おうとする人々の努力は、とにかくどの時代も涙ぐましいものがあったのだなということがよく分かります。また、豪華さを競うようなファッションへの投資は、国と国、産地と産地の間の政治的な駆け引きにもつながっていました。それぞれの地方で産業と雇用が生みだされ、互いに品質や美しさを競争するようになります。異なる言語や文化同士が隣り合い、覇権争いを繰り広げたヨーロッパの歴史そのものが、服飾文化の発展に深くかかわっていることを知れたことも面白かった部分です。絵画に描かれたものから状況を紐解くだけではなく、当時の文献や記録(原典はもちろんフランス語!)がきちんと紹介されているのも好感が持てます。

実は私、宝塚歌劇を観劇することが好きなのですが、この本を読んでから宝塚の舞台衣装を観察することが楽しみになりました。コスチュームがとにかく豪華な宝塚ですが、時代ごとにドレスのデザインが確かに異なっていたりと、時代考証もきちんとされているのだなぁと感じます。
兵庫県神戸市には、西洋を中心とした服飾の歴史を常時紹介している美術館「神戸ファッション美術館」があります。こちらの施設もおすすめです!その時代に着用された、本物のドレスや宝飾品を見ることができますよ。
(神戸ファッション美術館Webサイト:https://www.fashionmuseum.or.jp)

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