こんにちは。
東京の美術館紹介、続けています。
今日ご紹介の美術館、1987年に当時の安田火災海上保険(現:損害保険ジャパン日本興亜)が英クリスティーズのオークションで、ゴッホの名作「ひまわり」を当時の絵画史上最高額となる約53億円で落札したことで記憶に残っている方もおられるかもしれません。この出来事はバブルの絶頂期を迎える日本の象徴として国内外で話題となりました。その後、日本はバブルもはじめ、経済的には厳しい時代が続きますが、まだこうやって売却されずに美術館の中に大切に保管されていることは好印象です。(最近では美術品は投機的に扱われることも多いですから)
私も足を運んだことがありますが、いつ行ってもゴッホの「ひまわり」を国内で見ることができる大変貴重な場所だと思います。 また本館は二科会を中心に、昭和の美人画の旗手として活躍された1人の画家のコレクション群を所有していることでも有名です。それでは早速みていきましょう。
このブログで紹介する美術館
SOMPO美術館
・開館:1976年
・美術館外観(以下画像は美術館HP、都、観光協会HPより転載)
→なんか近未来(宇宙船)のような建物ですね。
「ひまわり」と「東郷様式(美人画)」の眠る場所
・ 1976年、安田火災海上(現・損保ジャパン)本社ビル42階に、日本初の高層階美術館として開館、安田火災とゆかりの深かった東郷青児氏からコレクションの提供を受け、主に東郷作品を常設する美術館としてスタートしました。その後、1987年には、ファン・ゴッホの《ひまわり》を収蔵、コレクションを拡充、2019年には累計来場者600万人を記録しました。
2020年に美術館名称を「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」から「SOMPO美術館」へ変更、6階建の美術館に生まれ変わりました。SOMPO美術館のアートを想起させる彫刻のような建物には、東郷作品からインスピレーションを得た柔らかな曲線を取り入れ、大きなガラスを用いたエントランスが特徴です。
前庭には収蔵するファン・ゴッホの《ひまわり》の陶板複製画、外周には館のマーク・ロゴをデザインした青や赤のフラッグが、この地域のアートランドマークとして文化的空間を演出。美術館のブランドメッセージは、「この街には《ひまわり》がある。」と設定し、ファン・ゴッホの《ひまわり》や東郷青児などの収蔵作品を未来に継承し、新宿区立の小中学校が行う「美術鑑賞教育」支援など、地域に密着した活動にも取り組みながら、この街から末永く芸術・文化を発信していく決意を新たにされています。
美術館のコンセプトなど
・フィンセント・ファン・ゴッホの代表作《ひまわり》に出会えるアジアで唯一の美術館として以下コンセプトを設定されています。
「世界一の乗車数をほこる新宿から文化・芸術を発信し、新たな賑わいを創出するとともに、国内外の交流を促し、多様な価値観に満ちた魅力溢れる美術館を創造する。」
→なお、美術館の外観デザインは、収蔵作品の核である東郷青児の作品をモチーフとした垂直面と曲面を組み合わせており、本社ビルとの調和を意識しているそうです。また、ロゴデザインも東郷青児の作品《超現実派の散歩》をモチーフにしたもの。優れた美術作品に出合ったとき、人は心が解放され、作品世界で遊ぶような感覚を覚えることから、この作品の「散歩する人」をそうした心の自由の象徴とみなし、「美術がもたらす心の自由を大切にしたい」というメッセージを込めてシンボルマークに採用されています。
なお、SOMPO美術館では、社会に提供する価値を以下の3つに集約して活動をされています。
①多様性のある人材やつながりにより、芸術文化の今と未来をつくる力を育む
②身近な美術鑑賞の場の提供により、人々の感性と知的好奇心を刺激する
③≪ひまわり≫をはじめとするコレクションを守り、活動成果とともに未来に残す
→3つ目の「コレクションを守り」という言葉に重みがありますね。コレクションを非常に大切にされている姿勢が伝わってきます。
東郷青児とは
・1897年(明治30年)、鹿児島市生まれの洋画家。1914年、青山学院中学部卒業後、有島生馬に師事。1916年第3回二科展に初出品して二科賞を受賞した『パラソルさせる女』(清力美術館)は幻想的な作品で、以後の作風を決定づける。1919~28年フランスに留学、第15回二科展に滞欧作を発表し昭和洋画奨励賞を受ける。1930年二科会会員に推され、第2次世界大戦後は同会の再建に尽力し1961~78年会長を務める。繊細な技巧による装飾性と清潔な色彩による抒情味あふれる簡潔な人物画を得意とし、1956年日本芸術院賞受賞、1960年日本芸術院会員,1976年フランス政府から芸術文化勲章を贈られ、1978年文化功労者に推挙。1976年,東京都新宿区に安田火災東郷青児美術館(→SOMPO美術館)が開館。代表作に『サルタンバンク』(1926,東京国立近代美術館)、『創生の歌』(1956,旧大洋デパート壁画)。
ゴッホと「ひまわり」
・実はゴッホは生涯で約2年ほどの短い期間しかひまわりを描いていません。全部で油彩画7点を制作しており、このうち6点が現存しています。いずれも1888年8月から1890年1月にかけて描かれたもの。1888年2月、南フランスのアルルに移り住んだゴッホは、同年10月末に画家仲間のゴーギャンを迎えて共同生活を始めます。ゴッホにとってヒマワリは明るい南フランスの太陽、ひいてはユートピアの象徴であったといわれ、この時期に同様の構図の作品を複数枚描いた目的は、共に過ごすゴーギャンとの「黄色い家」のアトリエを「明るいヒマワリの絵で飾りたかった」からだといわれています。(その後、ゴーギャンとの共同生活はすぐに破綻、ゴッホが自らの左耳を切り落とした事件を契機にわずか2ヶ月でゴーギャンはアルルを去ってしまいます。)
→ゴッホにとって、そんな南フランス:アルルでいわば芸術家の共同体をつくることを夢見ていた時期の活力に満ちた筆使いが画面に投影されているのですね。
SOMPO美術館の「ひまわり」
・SOMPO美術館が収蔵する「ひまわり」は、1888年8月に描かれた1点目の「黄色い背景のひまわり」(ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵)をもとに、実際にファン・ゴッホがゴーギャンと共同生活を送っていた1888年11月下旬から12月上旬頃に描かれたと考えられているそうです。基本的な色や構図はロンドンにある作品と同じですが、タッチや色調は異なっており、ファン・ゴッホが単なる複製を描くのではなく、考察を重ねながら制作したことがうかがえます。
東郷青児コレクション
・美術館HPの東郷青児コレクションのトップ画面には「望郷」という代表作の1つが掲載されていました。これは、古代ギリシャの神殿のような遺跡の前にたたずむ女性で、日本国際美術展で一般入場者の投票による「大衆賞」を受賞した作品です。「青児美人」とうたわれた甘美な女性と抒情性が「通俗」とも呼ばれましたが、「東郷様式」の代表作です。HPには「《望郷》の発表は東京タワー完成の翌年。景色が劇的に変わる経済成長のただ中にいた人々の心には、東郷の描く甘い感傷がしみたのかもしれない。」と記載されています。
→SOMPO美術館は毎月コレクションの中から1作品を選んで、「今月の一品」と題し解説文つきで発表されています。こちらも以下URLから見ることができますのでぜひ楽しんでみて下さい。
〇SOMPO美術館コレクションハイライト:https://www.sompo-museum.org/collection/#anc01
…いかがでしょうか。実は私、現代アートも好きなのですが、自身も油絵を多少かじっていたこともあり、洋画家の中でトップクラスにゴッホが好きです。力強い筆のタッチは(変な例えかもしれませんが)何とも男前でいつもカッコイイなと思いながら拝見していました。また東郷青児も一度見たら忘れられないオリジナル性に溢れた画面で、女性の柔和な美しさをデフォルメしながらもうまく表現した名作が多いことも印象的です。
そんなSOMPO美術館、オススメですので皆さんもぜひ実物を見てみて下さい。
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(参考)損害保険ジャパン 年表
・1887年(明治20年)7月23日 – 有限責任東京火災保険会社設立。
・1888年(明治21年)10月1日 – 営業開始。
・1893年(明治26年) 6月 – 東京火災海上保険株式会社に商号変更。 9月 – 帝国海上保険株式会社設立。
・1900年(明治33年) – 帝国海上保険が、帝国海上運送保険株式会社に商号変更。
・1902年(明治33年) – 帝国海上運送保険が、帝国海上運送火災保険株式会社に商号変更。
・1907年(明治40年)1月 – 東京火災保険が、東京火災海上運送保険株式会社に商号変更。
・1908年(明治41年)8月 – 第一機関汽罐保険株式会社設立。
・1911年(明治44年)5月 – 日本傷害保険株式会社設立。
・1913年(大正2年)8月 – 東京火災海上運送保険が、東京火災保険株式会社に商号変更。
・1919年(大正8年)12月 – 日本傷害保険が、日本傷害火災海上保険株式会社に商号変更。
・1920年(大正9年)4月 – 大成火災海上保険株式会社設立。
・1922年(大正11年)3月 – 日本傷害火災海上保険が、中央火災傷害保険株式会社に商号変更。
・1926年(大正15年)8月 – 帝国海上運送火災保険が、帝国海上火災保険株式会社に商号変更。
・1930年(昭和5年)11月 – 第一機関汽罐保険が、第一機罐保険株式会社に商号変更。
・1936年(昭和11年)3月 – 中央火災傷害保険が、中央火災海上傷害保険株式会社に商号変更。
・1937年(昭和12年)6月 – 中央火災海上傷害保険が、日産火災海上保険株式会社に商号変更。
・1941年(昭和16年)11月 – 東京火災保険株式会社が、太平火災海上保険株式会社を合併。
・1942年(昭和17年) – 東京火災保険が、東京火災海上保険株式会社に商号変更。
・1943年(昭和18年)2月- 東京火災海上保険株式会社が、東洋火災保険株式会社を、帝国海上火災保険株式会社が、第一火災海上保険株式会社をそれぞれ合併。
・1944年(昭和19年)2月 – 東京火災海上保険株式会社・帝国海上火災保険株式会社・第一機罐保険株式会社の3社が合併し、安田火災海上保険株式会社が発足。
・2002年(平成14年) 4月 – 安田火災海上保険株式会社が第一生命保険相互会社(現・第一生命ホールディングス株式会社)の損保子会社であった第一ライフ損害保険株式会社を合併。 5月 – 安田火災海上保険株式会社が株式会社クレディセゾンと包括業務提携を締結。 7月 – 安田火災海上保険株式会社と日産火災海上保険株式会社が合併して株式会社損害保険ジャパン(初代)が発足。
・2002年(平成14年)12月 – 大成火災海上保険株式会社を合併。
・2003年(平成15年)4月 – 株式会社クレディセゾンの子会社であるセゾン自動車火災保険株式会社の株式の一部を取得し、同社の筆頭株主となる。
・2004年(平成16年)4月 – 日立キャピタル株式会社(現・三菱HCキャピタル株式会社)の子会社である日立キャピタル損害保険株式会社(現・キャピタル損害保険株式会社)の株式の一部を日立キャピタル株式会社(現・三菱HCキャピタル株式会社)から取得し、関連会社化する。
・2006年(平成18年)5月 – 平野浩志社長(当時)が、保険金不払いに伴う行政処分の責任を追及され、引責辞任。
・2008年(平成20年)11月 – 環境省の「エコファースト制度」に認定。
・2009年(平成21年)7月 – セゾン自動車火災保険株式会社の株式を追加取得し、同社を連結子会社化する。
・2010年(平成22年)4月1日 – 日本興亜損害保険株式会社との株式移転により持株会社であるNKSJホールディングス株式会社(現・SOMPOホールディングス株式会社)を設立し、経営統合。
・2012年(平成24年) 3月23日 – 関係当局の認可等を前提に2014年度上半期を目途に日本興亜損害保険株式会社と合併し、損害保険ジャパン日本興亜株式会社とすることをこの日各社で行われた取締役会で決議し、合併基本合意書を締結したことを発表。 8月13日 – 投資事業有限責任組合を通じての介護サービス事業への参入を発表し、株式会社シダーと資本・業務提携契約を締結。
・2013年(平成25年) 3月8日 – 日本興亜損害保険株式会社との合併日を9月1日とすることを発表。4月1日 – 前述の合併に先立ち、日本興亜損害保険株式会社との一体化運営(実質合併)を開始。
・2014年(平成26年) 8月1日 – 損保ジャパン・ディー・アイ・ワイ生命保険株式会社の全株式を第一生命保険株式会社(現・第一生命ホールディングス株式会社)へ譲渡(損保ジャパン・ディー・アイ・ワイ生命保険株式会社は同年11月25日にネオファースト生命保険株式会社へ商号変更する)。 8月27日 – 金融庁から保険業法に基づく合併の認可を取得。 9月1日 – 日本興亜損害保険株式会社と正式に合併し、損害保険ジャパン日本興亜株式会社に商号変更。
・2015年(平成27年)10月1日 – 株式会社日立製作所との合弁により、当社のシステム刷新を専門に担うシステム開発会社SOMPOシステムイノベーションズ株式会社を設立。
・2019年(平成31年) 3月6日 – 少額短期保険事業を担う子会社として、Mysurance株式会社を設立。 3月19日 – 株式会社シダーとの資本・業務提携契約を解消(なお、SOMPOホールディングスグループにおける介護事業はSOMPOケア株式会社が担っている。)
・2020年(令和2年) 4月1日 – 商号を「損害保険ジャパン株式会社」(2代目)に変更。 8月 – SOMPOインターナショナルホールディングスが英国ロイズのシンジケートから脱退し、再保険会社を英国のエンデュランス・ワールドワイド・インシュランス(英語版)としてその傘下に入る。
・2021年(令和3年)6月1日 – 保険商品で初となるマイカーを手放したユーザーニーズに特化したドライバー保険「UGOKU(移動の保険)」を発売。
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