岡山市中心部から鉄道とバスを乗り継いで2時間半くらいはかかる中国山地の真ん中に位置する人口5千人前後の小さな町、奈義町。一時は合計特殊出生率が2.95(全国平均は1.3程)で脚光を浴びましたが、ここに開館から早20年近くになる1つの現代美術館があります。
今でも現代美術館として一定の評価を得ている館なのですが、20年前に、しかも町立で、これを建てることができたのは当時の町長さんの熱意と住民の方の理解、これに関わった4人の芸術家(荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛子)との巡り合わせなど様々な努力とタイミングなどがあったのかもしれません。そんな今でも輝きをはなつ町立の現代美術館、ご紹介です。
このブログで紹介する美術館
奈義町現代美術館(NagiMOCA)
・開館:1994年
※ベネッセアートサイト直島としてベネッセ社が瀬戸内を現代アートの一大エリアにしたのが2004年ですから、それより10年も前に岡山県に現代美術館が建ったわけです。しかも何度も言いますが町立です。これがいかに先見性があり、大変なプロジェクトであったのか解っていただけると思います。(ちなみに町立の美術館…いくつかご紹介しました。那珂川町馬頭広重美術館、やないづ町立斎藤清美術館、平取町立二風谷アイヌ文化博物館など。ご参考に)
・美術館外観(以下画像は美術館HP、県・市観光協会より転載)
・場所
奈義町現代美術館 – Google マップ
4人の芸術家による世界初のサイト・スペシフィック美術館
・わが国を代表する世界的な建築家磯崎新によって設計され、1994年(平成6年)に開館。国際的に活躍されている荒川修作+マドリン・ギンズ(→養老天命反転地でご紹介しましたね)、岡崎和郎、宮脇愛子の4人の芸術家に一般の美術館では収集不能とされる巨大作品をあらかじめ制作依頼、その作品、又その全体の空間を作家と建築家が話合い、美術館として建築化したもの。作品を本尊にたとえれば建築家はそれに覆い屋を架けるという発想から建てられ、作品と建物とが半永久的に一体化した美術館。(→これをアート界隈では俗にサイト・スペシフィックと言います。先日ご紹介したモエレ沼公園などもそうですね。)
美術館の展示室は、太陽、月、大地と名付けられ、奈義町の自然条件に基づいた固有の軸線を持つ3つ形から構成。「太陽」の軸は南北軸、「月」の平坦な壁は中秋の名月の午後10時の方向を指し「大地」の中心軸は、秀峰那岐山の山頂に向かっています。秀峰那岐山を借景に日毎、季節ごとにその表情の変化を据えることができ、それぞれの部屋で静かに個人個人が全身の感覚で自分なりに何かを感とることはできるよう工夫されています。
建築家と芸術家が共同制作した、奈義町現代美術館は、未来の美術館の方向を示すものとして一つの提案を差し出した、公共の施設として世界で初めて実現した美術館です。
常設展示作品
宮脇愛子
<美術館カタログより>
・「在る」と「無い」を渡る。〈これ〉、「心」とはそうしたものではないだろうか。路地を影法師がよぎり、薫風が頬をなで、空の高みを鱗雲(うろこぐも)が渡って行く。〈あなた〉は誰か。何の告知(しらせ)なのか〈あれ〉、「気」というのだろうか、何と言って名付け難い〈気配〉、それが「在る」ことのいとおしさをいつも私たちに教えている。
〇更に詳しい説明をみたい方はコチラ:https://www.town.nagi.okayama.jp/moca/jousetsu/daichi.html
岡崎和郎
<美術館カタログより>
・安らぎの場所。ここは休らう所である。ためらい、足をとめ、休息する。穏やかな気持を取り戻す。「休」という漢字のかたちからみてわかるように「人が木により憩う」ごとく。庇の下で雨宿りをしたり、影のなかで強い日差しを避けて息づく生き物たちのように。護られてある休息。〈もの〉たちに促されて、限りある生命でしかない私たち個々の〈意識〉が思いを馳せる。降り積もる数万年の過去、茫洋と開かれた未来、永遠の現在。時の宿り。
〇更に詳しい説明をみたい方はコチラ:https://www.town.nagi.okayama.jp/moca/jousetsu/tsuki.html
荒川修作+マドリン・ギンズ
<美術館カタログより>
・明るい小部屋に踏み込むと、もう何か奇妙な感じなのである。足元からの光に浮び上がるこの部屋は、中央には傾いた黒く太い円筒が床から天井まで続いており、それは光を吸収してまるで〈闇〉が実体化したもののようである。床は黄色い地に黒い線で描かれた迷路、天井にはそれが〈反転〉した黒地に黄色い線の迷路。〈迷路〉はアラカワ/ギンズの得意のモティーフであり「反転性」は彼らのキー・コンセプトである。しかも天井も床も中央に向かって盛り上がる傾斜が付いている。見えない何かが、彼らはそれを「ブランク(空白=体)」と呼ぶが、渦巻いている気配。それにしても身体は何か新しい歓迎を受けているようだ。
〇更に詳しい説明をみたい方はコチラ:https://www.town.nagi.okayama.jp/moca/jousetsu/taiyo.html
30年間町役場に勤務した町長が設立
・この美術館の設立に尽力した当時の町長さん、笠木義孝さんという方で、会社員、大阪府府中市職員を経て、1977年から2007年まで奈義町職員を30年間務め、最後は建設課長、産業振興課長、教育長などを歴任されましたが、ばりばりの地元役場職員の方でした。前述したとおり、奈義町はその後、高い合計特殊出生率で全国的に有名になりますが、1994年に美術館ができるまで、町は1961年(昭和36年)に 陸上自衛隊を誘致したくらいで目立った動きはありませんでした。まさに少子化が進む中で、そのようなばりばりの役場職員の方が打ち出した施策の1つとして現代美術というアイデアをもってきて、他県・他町に先駆けて実現できたことは不思議な力を感じます。きっと当時の町長の笠木さんがただ漫然と役場職員として勤められていたのではなく、町の問題意識、未来への想いを抱え続け、それを住民の方々の信頼へとつなげていけたからこその美術館設立だったのではないかと個人的には感じています。
なお、奈義町の子育て施策としては主なものだけでも以下があるそうで付録として載せておきます。
(付録)奈義町の子育て施策
①在宅育児支援手当
・満7カ月児から満4歳(満4歳になった後の最初の3月31日までの)児童で保育園等に入園していない児童養育者に、児童一人につき月額1万円を支給。
②高等学校等就学支援
・生徒一人当たり年額9万円を在学中の3年間、毎年度支給。
③医療費を高校生まで無料化
・18歳まで、医療機関等での自己負担分を奈義町が負担。
④出産祝い金交付
・子の誕生に際して10万~40万円を交付(第1子10万、第2子15万、第3子20万、第4子30万、第5子以上40万)。
⑤ワクチン接種
・予防接種法に定められたBCG(結核)、DPT-IPV(4混:百日咳・ジフテリア・破傷風・ポリオ)、DT(2混:ジフテリア・破傷風)、MR(麻しん・風しん)、小児肺炎球菌、ヒブ、子宮頸がん、水痘を無料で接種できる他にも、ロタウイルスワクチン、B型肝炎ワクチン、おたふくかぜワクチンという法定外予防接種も全額助成。
⑥不妊治療助成
・奈義町に1年以上住所を有した戸籍上の夫婦で、県指定の医療機関で特定不妊治療を受けた方に、費用の2分の1以内で、年20万円を限度に通年5年間助成。
⑦不育治療助成
・法律上の婚姻をして1年以上の夫婦で、奈義町に住所を有しており、(社)日本生殖医学会が認定した生殖医療専門医が所属する医療機関で不育治療を受けた人に、年30万円を限度に通年5年間支給。
→個人的には高校生まで医療費無料というのは驚きでした。
他にも、笠木さんは(当時の報道媒体をみると)劇作家:平田オリザ氏を「教育・文化のまちづくり監」として招聘し子供たちに「教育×演劇」を提供したり、カンヌ国際映画祭受賞監督の深田晃司監督による「映画×教育」、介護福祉士兼俳優の移住者である菅原直樹氏による「介護×演劇」なども展開されいたようです。いずれにしろコンセプトは「子供たちがここで「本物」に出会い、高齢者は住み慣れたこの地で安心して最期を迎えられること」だったようでそれが今でも続く町づくりにつながっているような気がします。
それにしても1994年の段階でここまで町の未来を見通して、先手先手で対策を打ってきたからこそ合計特殊出生率という目に見える形でも成果が表れたのかなと個人的には感じました。このようなユニークな取組み、恐らくベネッセホールディングスの代表をしていた福武總一郎氏の目にも留まっていたに違いありません。お2人の対談などはざっと調べた限りでは見つかりませんでしたが、同じ岡山県内、どこかで意識し合っていた可能性もあるのではないかと思います。
岡山、瀬戸内のアートスポットを巡る際は、ぜひその前夜を彩った奈義町の動きにも注目していただき、4人の芸術家の化学反応を楽しんでいただけたら幸いです。
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