彫刻家のアトリエ兼住居を公開、卓抜な彫塑技術と忠実な自然観察による写実描写 東京: 台東区立朝倉彫塑館

東京都

 こんにちは、マウスです。
 本日は台東区谷中…日暮里駅から徒歩5分の位置にある彫刻家の功績をご紹介する美術館です。

 私事で恐縮ですが、この谷中という場所、非常に縁が深い場所でして、大学の卒業展覧会は先日述べた通り東京:赤坂の「21_21 DESIGN SIGHT」の施工も手掛けた「HIGURE17-15cas」というコンテンポラリーアートスタジオで開催しましたが、このHIGURE17-15casがあるのも日暮里(谷中)です。HIGURE17-15cas…その名の通り日本語で表記すると「HIGURE=日暮れ=日暮里」「17-15=住所の番地」「cas=コンテンポラリー・アート・スタジオ」から各々とったものです。

 また、それだけでなく、この谷中、私の家族(というか妻)が学生時代に住んでいた場所です。そのため何度も谷中銀座を通り送り迎えをした思い出がよみがえってきました。当時、地方から上京した私は、「なんだかこのあたりは東京でも下町風情の残っており、何だかほっこりして街歩きが楽しいな」と思った記憶があります。

 当時はそんな趣ある街にたたずむ彫刻専門の美術館、どんな美術館なのか、早速みていきましょう。

このブログで紹介する美術館

台東区立朝倉彫塑館

・開館:1967年 ※建物自体の竣工は1935年です
・美術館外観(以下画像は美術館HP、都、観光協会HPより転載)

・場所:朝倉彫塑館 – Google マップ

彫刻家のアトリエ兼住居を公開、卓抜な彫塑技術と忠実な自然観察による写実描写

・彫刻家:朝倉文夫氏のアトリエと住居だった建物を美術館として公開したもの。朝倉氏は東京美術学校を卒業した1907(明治40)年、24歳の時に谷中にアトリエと住居を構えます。当初は小さなものでしたが、その後、敷地を拡張したり増改築を繰り返したりして建築を楽しんだそうです。

 現在の建物は1935(昭和10)年に竣工。建物は朝倉氏が自ら設計し、細部にいたるまでさまざな工夫を凝らしており、こだわりを感じさせます。さらに、朝倉氏はここを「朝倉彫塑塾」と命名し、教場として広く門戸を開放して弟子を育成しました。朝倉氏の教育法は独自の自然観と深く結びついており、この建物にもそれが色濃く反映されています。

 その後、この建物は朝倉氏の遺志により遺族によって1967(昭和42)年から公開。1986(昭和61)年に台東区に移管され、台東区立朝倉彫塑館となります。2001(平成13)年には建物が国の有形文化財に登録、2008(平成20)年には敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されました。

朝倉文夫とは

・1883(明治16)年、大分県大野郡池在(現、豊後大野市)生まれの彫刻家。渡辺要蔵の三男として生まれる。9歳のとき朝倉家の養子となり、1902年(明治35)中学を中退、実兄の渡辺長男を頼って上京。翌1903年東京美術学校彫刻科選科に入学、同科を卒業後1909年まで研究科に在籍。

 1908年の第2回文展に入選した『闇(やみ)』が一躍二等賞となって大いに注目され、文展で受賞を重ね、1916年(大正5)以降文展および帝展の審査員を務めた。1921年東京美術学校教授、1924年帝国美術院会員となるが1928年(昭和3)会員を辞任、1935年帝国美術院改組で復帰、1937年帝国芸術院会員、1944年帝室技芸員。1948年(昭和23)文化勲章を与えられた。1964(昭和39)年没。

 卓抜な彫塑技術と忠実な自然観察による写実描写で、明治、大正、昭和三代を通じて官展系彫刻に強大な影響を与えた。代表作に『吊された猫』『墓守』『島津斉彬公像』『太田道灌(どうかん)像』など。多くの原型が朝倉彫塑館(東京都台東区谷中)に保存されている。長女は舞台美術家の朝倉摂(せつ)(1922―2014)、次女は彫刻家の朝倉響子(1925―2016)。

闇(やみ)

吊された猫

→猫をこんな印象的に、迫力ある表現で塑像した方は朝倉文夫氏だけではないでしょうか…(個人的感想です)

墓守

島津斉彬公像

→鹿児島の観光スポットにもなっているようですね。鹿児島県は護国神社と照國神社の間にどーんと建っているようです。

太田道灌(どうかん)像

→こちらは丸の内にある「東京国際フォーラム」で目にした方もいらっしゃるかもしれません。実は朝倉文夫氏の代表作です。いずれにしろとてつもなく巨大な作品も多くつくられていたようですね。

 

 

彫塑について

・「彫塑」という言葉、聞きなれないかもしれませんが、実は朝倉氏の師であった大村西崖氏が唱えた言葉だと美術館HPには記載されていました。日本にも古くから「塑造」の技法はありましたが、明治時代はじめまで主な彫刻技法は彫り刻んでいく「彫刻」でした。sculptureの訳語として、彫り刻む技法「彫刻(carving)」とかたちづくる技法「塑造(modelling)」を合わせて「彫塑」という言葉が生まれたようです。朝倉氏は「彫塑」という言葉に拘りを持ち、朝倉彫塑館と命名しましたが、結局、「彫塑」という言葉は定着しませんでした。現在、日本では「塑造」を含んだ広い意味で「彫刻」と呼ぶことが一般的だとの事です。

→やはり結構聞かれることが多いのでしょうね、HPにわざわざ記載されていました。言葉は流行しませんでしたが、彫刻は不変です!(なんのこっちゃ)

主なコレクション

・上でご紹介していない、その他の朝倉彫塑館コレクションをご紹介していきましょう。 →あ、大隈さんですね(わが母校)


→朝倉氏、猫好きだったんですかね

他にも、朝倉文夫が生前収集した多くの美術品・工芸品も展示されています。

いかがだったでしょうか。

屋上庭園と五典の池について

・最後に、台東区立朝倉彫塑館のHPに載っていたちょっとユニークな取組み?についてご紹介して終わりたいと思います。この朝倉彫塑館、実は屋上庭園が造られています。

※なんと木もあります…

こちら、コンクリート建築の屋上に作られた庭園で、日本の屋上緑化の先駆けとして重要な意味をもっているそうです。この庭園は、かつて朝倉彫塑塾の園芸実習の場としても利用されており、植物の世話を通して土に親しみ、自然観照の目を育むこと、触覚をはじめとする感覚を研ぎ澄ませることを目的とした、朝倉氏の独自の教育論に基づいています。現在は一部に菜園も再現、オリーブの木や四季咲きのバラなど、季節を通して楽しめる憩いの広場となっています。

また、五典の池と呼ばれる朝倉氏の考案をもとに造園家:西川佐太郎氏が完成させた池が館内に設置されています。こちらは朝倉氏がこの庭を自己反省の場として設計し、五つの巨石で五常を造形化したもので、以下の5つの意味合いが込められています。

仁も過ぎれば弱じゃくとなる
義も過ぎれば頑かたくなとなる
礼も過ぎれば諂へつらいとなる
智も過ぎれば詐いつわりとなる
信も過ぎれば損そんとなる

…うーむ、深い言葉です。彫刻をしている人は以前ご紹介した高田博厚氏(福井市美術館)なども含め思索家としても著名な方が多い気がします。以下、Youtubeチャンネルにも池のご紹介がありますのでぜひ参照にしてみて下さい。

(マウス)

 

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